1980年代の到来を前にして、ロールス・ロイス/ベントレーは自社の生産モデルのあり方について、ドラスティックな思想転換を強いられていた。そのきっかけとなったのは、間違いなくメルセデス・ベンツのもたらした「Sクラス・ショック」と言えるだろう。1972年秋のパリ・サロンにてデビュー。1974年には最上級の450SE/SELによって“カー・オブ・ザ・イヤー”も獲得したメルセデスSクラス(W116)は、その素晴らしい総合性能、そしてパッシブセーフティー(受動安全)性を積極的に押し出した技術的姿勢から、それ以後に製作されるすべての高級サルーンの「メートル原器」とも言うべき規範となってゆくのだ。特に最上級モデルの450SEL6.9に至っては、シルヴァー・シャドウ/Tタイプよりも遥かに安価であるにもかかわらず、あらゆる点で凌ぐだけのパフォーマンスを備えていたことから、第二次大戦前以来、世界の高級車マーケットの頂点にあって眼下を“睥睨して”いたロールス・ロイス/ベントレーの絶対性は大きく揺らぐことになってしまう。
しかも、以前は高級車マーケットとは無縁であったはずのBMWまでも、1977年デビューの“7シリーズ”で同じ土俵に上ってきたほか、'79年にはメルセデスSクラスが次世代モデルのW126系に大進化。さらに、かつては「格下」と見なしていた同国のジャガーさえも、12気筒エンジンを搭載する“XJ12”および“デイムラー・ダブルシックス”によって、ロールス・ロイス/ベントレーの牙城を脅かす存在となりつつあった。もちろん、’70年代前半にはシルヴァー・シャドウ系の販売実績は満足に足るものだったのだが、移ろいやすさを加速的に増したマーケットに於いて、その成功はいつまでも続くものとは考え難い。事実1977年のマイナーチェンジ以後、シルヴァー・シャドウⅡ/T2のセールス状況は急速に冷え込んでいたのだ。つまり、それまでは唯我独尊を貫いてきたR-R/ベントレーだが、直下のクラスまで迫ってきたライバルの台頭に対して、’60年代にシルヴァー・シャドウ/Tタイプがデビューしたとき以上の危機感をもって対処する必要が生じたのである。
このような状況のもと、ロールス・ロイス社は1980年にシルヴァー・シャドウⅡを“シルヴァー・スピリット”にフルモデルチェンジ。同時にベントレー・ブランドの姉妹車も、Tシリーズから“ミュルザンヌ”へとフルモデルチェンジされることになった。“スピリット”とは、「精神」という最も有名な意味のほかに、「霊・神霊」という意味も含まれる。つまり、シルヴァー・ゴースト以来、綿々と受け継がれてきたR-Rの伝統に相応しいネーミングであった。一方、ミュルザンヌとは、ル・マン24時間レースの名物コーナーから名づけられたネーミング。こちらはヴィンテージ期の「クリクルウッド・ベントレー」の大活躍にあやかったものだった。そしてシルヴァー・スピリットは、その後スピリットⅡ/Ⅲと絶え間なく進化し、さらにはベントレー・ブランドの派生車種や進化モデルも夥しい種類が続々と登場することになるのだが、これこそまさに、「群雄割拠」の様相を呈していた1980年代の高級車マーケットのリクエストに応えた結果だったと言うべきだろう。
シルヴァー・スピリット/ミュルザンヌのスリーサイズは、全長5280mm、全幅1890mm、全高1485mm。ホイールベースは3060mmと、従来のシルヴァー・シャドウⅡ/T2に比べると一回り大きくなり、特に車幅は約90mmもワイド化されることになった。車両重量はスピリットで2230kgと発表された。また、ホイールベース/全長を100mm延長し、レッグスペースを拡大したロングバージョンも同時に誕生。シルヴァー・レイスⅡの後継車となるこのモデルは、ロールス・ロイス版では特に“シルヴァー・スパー”と名づけられたが、ベントレー版には専用のネーミングが与えられることはなく、単に“ミュルザンヌのLWB(ロングホイールベース)版”と称されることになった。
もちろん、シルヴァー・スピリット系でもR-R/ベントレーに相応しい最上級のフィニッシュは維持された。ボディのペイントはアクリルラッカー塗料仕上げで、2回の下塗りの上にもう一度下塗りし、3回の上塗り、さらに2回のクリアペイントが施されていた。フロントマスクは伝統の立派なパルテノン神殿型グリルと専用デザインの矩形2灯ハロゲン・ヘッドライトの組み合わせとなった(US仕様および初期の日本仕様には角型4灯シールドビームが組み合わされた)。ボディの基本プロポーションは、シルヴァー・シャドウ時代と同じコンヴェンショナルな3ボックスなのだが、そのデザインエッセンスはエッジの立った直線基調の’80sスタイルとなり、ウエストラインが低められたことでグラスエリアが広がった上に、R-Rとしては初めてサイドウインドーにカーブドガラスが採用されるなどの近代化も施されてはいたのだが、その一方でシャドウ系に見られたような、エレガントかつノーブルな貴族的テイストは、いささかならず減少してしまうことになったのである。
エンジンは、シルヴァー・シャドウ/T譲りのL410型V型8気筒OHV6747cc。最高出力などのスペックは、もちろんロールス・ロイスの伝統に従って非公表とされた。トランスミッションもシャドウ系と同じGM製400型3速オートマティックが組み合わされる。最高速度はこれも未公表ながら、120mph(約192km/h)に達するといわれていた。加えて、シャーシーについてもシルヴァー・シャドウ系のそれを概ね踏襲、ボディはもちろんフルモノコックで、サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リアがトレーリングアームとされたのも、基本的にはシルヴァー・シャドウ系から変わっていない。一方ブレーキは前ベンチレーテッド・ディスク、後ろはソリッド・ディスクとなっている。タイアサイズは前後とも235/70HR15で、ホイールはシルヴァー・シャドウ時代と同じく15インチ・スティールでステンレススティール製ホイールキャップが組み合わされた。
またエアコンディショナーについては、小型冷蔵庫30台分もの冷却容量と9kwの暖房能力を持つ、当時の最先端システムにアップ・トゥ・デートされることになった。このエアコンは1~30℃まで選択できる上に、キャビン内を上部と下部の2段階で好みの温度に調整可能。ただし後者のシステムは、カマルグ以来のものが踏襲されていた。
スピリット系/ミュルザンヌは、デビュー当初は旧き良きキャブレターで燃料供給を賄ってきたが、1986年からようやくボッシュKジェトロニック型インジェクションへと変更されることになった。翌’87年には、ベントレー・ミュルザンヌのシャーシーが、次章にて詳しく述べる“エイト”と同じ「ロードホールディング」と呼ばれるハードタイプに再チューニングされたことで、新たに“ミュルザンヌS”のネーミングで呼ばれることになった。そして1988年には、双方ともマイナーチェンジを受けてメカニカルコンポーネンツが大幅にリファインされることになるのだが、搭載するエンジンについてのスペック上の変更はなく、ネーミングもシルヴァー・スピリット/スパー/ミュルザンヌSのままだった。
ただしこのマイナーチェンジ版は短命に終わり、翌’89年秋のフランクフルト・ショーにシルヴァー・スピリットⅡ/スパーⅡへと進化。この大規模なマイナーチェンジを機に、ボッシュ・モトロニック型フューエル・インジェクションがロールス・ロイス/ベントレー全車に装着されることになる。この再チューニングの結果として実質的パワーは向上、マキシマムスピードは208km/hに達し、0→100km/h加速は11.1秒まで高められた。また、前後サスペンションは電子制御化された上に、軽量なアルミホイールがR-R版にも標準装備化されたことで、快適性を犠牲にすることなくハンドリングが向上したとされる。
さらに、インストルメントパネルもよりモダーンな意匠に変更されたほか、こちらもコンピューター管理化された警告灯がさらに追加されるなど、スピリットⅡ/スパーⅡでの変更点は多岐にわたっていた。加えて、スピリットⅡ/スパーⅡではフルオートのエアコンディショナーもアップ・トゥ・デートされ、フロントの電動パワーシートも座面とバックレストが個別に調整可能とされたほか、ステアリングリムも伝統的な黒く細いエボナイト製から近代的な革巻きに変更され、デザインも格段に現代的なものとなった。もちろん、ベントレー・ミュルザンヌSにも同様のマイナーチェンジが施されているが、そのネーミングに変更はないまま、2年後のフェードアウトまで生産が続けられることになる。
シルヴァー・スピリットⅡ/スパーⅡは、誕生からわずか2年後の1992年秋に“’93年モデル”として再びマイナーチェンジ。仕向け地によっては、シルヴァー・スピリットⅢ/スパーⅢのネーミングがなされることになる。同時にベントレー・ミュルザンヌSは、後述するブルックランズに統合・廃止されることになった。このときのマイナーチェンジでは内装の各部が変更され、特にステアリングは革巻きのSRSエアバック付きとされた。しかし、このマイナーチェンジに於いて最も特筆すべきトピックは、トランスミッションがUS仕様のシルヴァー・シャドウから、実に28年間もの長きに亘って供用されてきたGM400“ターボハイドラマティック”から、ようやく最新の4速ATに変更されたことだろう。この新しいオートマティックも北米GMから供給を受けるもので、“GM700”と呼ばれる。一方、搭載エンジンについては数値的の変更は無かった。また、このときのマイナーチェンジに際して、ホイールベース/全長とも対スパーⅢ比で600mm延長した“ツーリングリムジン(日本名)”も製作されることになった。シルヴァー・スピリット/スパーをベースとしたリムジーンとしては、1980年のデビュー以来“フーパー”や“ロバート・ジャンケル”などの独立コーチビルダーたちが多種多様のモデルを受注生産していたが、R-R社主導、そして同社の“ハウス・コーチビルダー”とも言うべきマリナー・パークウォードの手でスピリット系のリムジーンを、しかも正式なカタログモデルとして製作するのは、実はこのときが初めてであった。加えて、あくまで亜流のリミテッドエディションではあるものの、1994年にはロールス・ロイスとしては史上初めてターボチャージャーを装着する“フライング・スパー”が登場。翌’95年までに36台が製作されている。
1995年になると、フルチェンジ以来既に14年が経過していたシルヴァー・スピリット/スパーに、史上最大規模のマイナーチェンジが施されることになる。まずは、’94年までのシルヴァー・スピリットⅢに相当するモデルとして、新たに“シルヴァー・ドーン”の懐かしいネーミングが復活することになった。ホイールベースは旧シルヴァー・スパーⅢと同じ3160mmのロングバージョンに一本化。エンジンは伝統のV8OHV・6747ccユニットをNAのまま踏襲、ようやく4速に格上げされたGM700型オートマティック・トランスミッションと組み合わされる。しかし、ATセレクターはフロア化されたベントレーに対し、新型スパー同様コラムシフトのままとされていた。一方、シルヴァー・スパーはそのままの名称で存続し、3160mmのホイールベースも継承されている。これでは新シルヴァー・ドーンとの格差がなくなってしまうのだが、その最大の変更点はパワーユニット。旧来のV8OHV・6747ccユニットが踏襲されたが、その前年に製作された限定車“フライング・スパー”にて実験されたターボチャージャーが、正規モデルたるシルヴァー・スパーにも装着されることになったのだ。このターボユニットは、ベントレー・ターボR用と比べると、インタークーラーが省かれると同時にパワーよりも低/中速域のトルクを優先したチューン。GM700型4速オートマティック・トランスミッションと組み合わされる。しかし、ATセレクターはフロア化されたベントレーに対し、R-Rは伝統に従ってコラムのままとされた。
新シルヴァー・ドーン/スパーともに、外観では、フロントスポイラーと一体化された樹脂製バンパーに変更されたほか、インテリアも大幅なモダナイズを受けることになった。また、この新型シルヴァー・スパーでは、ゆったりしたビジネススペースは欲しいものの本格リムジーンは仰々しいと考える顧客に対応して、ホイールベースを300mm延長して、ガラスのディビジョンを設けた略式リムジーン“ウィズ・ディビジョン”も設定されることになった。さらにこのときのマイナーチェンジでは、’90年を最後に血脈の途絶えていたファンタムの実質的後継車となる本格的リムジーンが、伝統のコーチビルダーの名を冠した“パークウォード”の名称で復活を遂げることになる。パークウォードは各国元首クラスのVIPによる使用にも耐え得る本格的なリムジーンで、顧客のオーダーによっては、仏バカラ製のデキャンタ/グラス、シャンパンクーラーなどの装備も可能とされていた。