こうして誕生に至った40/50HPは、一般的には“シルヴァー・ゴースト”の愛称で知られているが、あくまで厳密に言うなら、すべての40/50HPモデルが“シルヴァーゴースト”というわけではなかった。発表の翌年、1907年夏にロールス自身やクロード・ジョンソンらの運転により、イギリス王立自動車クラブ(RAC)の記録担当者を同乗させた40/50HP型のテストカー「シルヴァー・ゴースト」が、ロンドン-グラスゴー間を往復する約15000マイルの過酷な連続耐久ロードテストに挑戦。見事ノートラブルの走破に成功したのだが、その際のテストカーが全身くまなく白銀にペイントされていたことから命名されたペットネーム「シルヴァー・ゴースト」が、そのまま40/50HPモデル全体の車名として用いられることになったのだ。また、1911年以降のシルヴァー・ゴーストは、パルテノン神殿型ラジエーターの頂点に、羽根を広げた精霊像「スピリット・オブ・エクスタシー(Spirit of Ecstasy)」、いわゆる「フライングレディ」を設置することになった。これは、ロールス・ロイスの広告イラストも手がけていた画家、チャールズ・サイクスによってデザインされたものが原型とされている。そのモデルとなったのは、ロールスやジョンソンとも旧知の仲であったRAC幹部ロード・モンタギューの秘書、ミス・エレノア・ソーントンであるという説が濃厚なのだが、その真偽のほどは定かでない。
デビュー当初「世界最高の6気筒車」のキャッチフレーズで売り出されたシルヴァー・ゴーストは、極めて高価ではあったものの、商業的にも大きな成功を収めることになる。のちには「6気筒」という文言を除いて「世界最高の自動車:The Best Car in the World」という有名なフレーズを名乗るようになり、最高級車の代名詞として世界各国の王侯貴族や富豪に愛用されることになるのだ。わが国でも1920年から2台のシルヴァーゴーストが大正天皇の御料車として使用されることになった。また、シルヴァー・ゴーストを愛用したユーザーの中には、あの“アラビアのロレンス”ことトーマス・エドワード・ロレンス大尉もあった。自動車とオートバイをこよなく愛したことでも知られる彼だが、その晩年に受けた「最も欲しいものは何か?」という問いかけに対して「R-Rシルヴァー・ゴーストとその一生分のタイア」と答えた、というエピソードはあまりにも有名である。