1960年代を迎えて、メルセデス・ベンツをはじめとするドイツ車の台頭が、高級車市場の動向に大きな影響をもたらし始めた。長らく、極端な高価格帯にマーケットを限定してきたロールス・ロイス/ベントレーだが、“600”のような超高級リムジーンや“250-300SE”のような高級サルーンはもちろん、中級サルーンやスポーツモデルまでカバーするメルセデス・ベンツのような量産メーカーとも否応なしに競合せざるを得なくなってきたのだ。特に、シルヴァー・クラウドⅢやファンタムⅤよりも遥かにモダーンかつ高性能なメルセデス600シリーズの登場(’63年)は、「The Best Car in the World」を標榜してきたロールス・ロイスのプライドを、ことさら刺激することになったのは想像に難くない。しかも、それまでのロールス・ロイスは、アメリカとヨーロッパの両大陸、あるいは中東の王家などの“特別な顧客”のリクエストのみに応えていれば良かったのだが、この時代になると、わが国日本に代表される新興の資本主義国のビジネスマンたちも、近い将来の得意客として無視できない存在となり始めていた。そして、常に新しいものを求める新世界のカスタマーたちの嗜好を考慮し、従来のモデルのようなエクスクルーシヴ性に加えて、よりフレッシュな魅力を備える「新時代のR-R待望論」が高まっていたのである。
そのような状況のもと、1965年9月の英国アールズコート・ショーで発表された新世代モデル、“シルヴァー・シャドウ”は、従来型のシルヴァー・クラウド系のように豊穣なロールス・ロイスの伝統的スタイルを持たず、極めてオーソドックスな3ボックススタイルのモノコックボディを持つ4ドアサルーンとなっていた。しかし、そのボディの下に隠されたメカニズムは、決してオーソドックスなものなどではなかった。シルヴァー・シャドウには、創業以来、常にコンサヴァティヴな作風を旨としてきたロールス・ロイスの伝統を覆すような“アヴァンギャルド”的テクノロジーが満載されていたのだ。
R-R史上最強の革命的モデルとなったシルヴァー・シャドウの設計/開発作業を担当したのは、前任車シルヴァー・クラウド系のデビュー翌年となる’56年から、クルーの技術陣を率いていたハリー・グリルズとその部下たち。そのグリルズにとって、初めて車輛全体の設計を総合指揮することになったシルヴァー・シャドウの開発にあたっては、彼自身、そして戦後ロールス・ロイス/ベントレーのコンセプトを常に提案してきた有能なプランナーにしてエンジニアであるアイヴァン・エヴァーデンらが長らく温めてきた前衛的なアイデアが、存分に生かされることになったという。
エヴァーデン、そしてこの時もスタイリストとして辣腕をふるうことになったジョン・ブラッチリーが、のちにシルヴァー・シャドウとなるモデルの基礎研究に着手したのは1956-57年のこと。シルヴァー・クラウドⅠ/Sタイプの正式発表から、まださほどの時間の経っていない時点からプロジェクトをスタートさせるのは、いかにもロールス・ロイス的な慎重さが現れた一例だろう。プロジェクトが立ち上がった当初の社内開発コードは、“チベット”とされた。この時期のR-R技術陣は、車両開発コードネームに、なぜか東洋の国名を好んで使用していたのだ。グリルズは、1955年の北米視察でフルモノコック・ボディの必要性を確認。同時にアメリカ車の影響からセパレートのサブフレーム採用も決意していた。しかし何より驚くべきは、グリルズが1955年にデビューしたシトロエンDSの影響を受けて、FWD(前輪駆動)の可能性も模索していたことであろう。彼は、同じくシトロエンに衝撃を受けたエヴァーデンに、FWDを想定したスケッチも描かせていたとされている。当時、その先進性によって世界中を驚かせたシトロエンDS/IDに影響を受けたエンジニアは、ローヴァー社にて革新的な“P6”シリーズや“レンジ・ローヴァー”を設計したスペン・キングを筆頭に、イギリスにも数多く存在していたことを証明する最たる例と言えるだろう。そして、ブランドイメージや信頼性などの理由からFWDのアイデアこそ断念されたものの、シトロエンDS/IDの“肝”であるハイドロニューマティック式サスペンションはチベットとそののちのビルマ・プロジェクトに正式採用されることになるのだ。1958年の盛夏には、B60系Fヘッド6気筒を搭載する3台のプロトタイプも製作されている。
しかし、チベット・プロジェクトはボディサイズがモノコックとしては過大と判断されるなどの諸般の事情により棚上げされ、直後に立ち上げられた第二次プロジェクトの“ビルマ”と統合されることになる。そして’59-60年には、同じ時期に発売されたシルヴァー・クラウドⅡ/S2で初めて正式採用されたV8エンジンの搭載が決められるとともに、ロールス・ロイス社の正式な新型車開発プロジェクトに昇格することになったのである。
そのパワートレーンについては、シルヴァー・クラウド系/ファンタムⅤ以来のL410型V8OHV・6230ccエンジンが踏襲されるものの、ヘッドの燃焼室形状の改良により、例によって未公表のパワーは若干(約2%)向上することになる。またデビュー当初には、イギリス国内向けのRHD仕様に自社製の旧式なハイドラマティック4速オートマティック・トランスミッションが組み合わされる傍らで、アメリカ向けの輸出仕様には、GM製の新型オートマティック、GM400“ターボハイドラマティック”が採用されることになった。この新型ATは、1963年モデルのキャデラックとビュイックにて初めて導入されたもので、段数は3速ながら非常にスムーズな変速マナーと信頼性の高さ、そして旧来のハイドラマティックよりも軽量なことが特徴。旧ハイドラマティック時代はR-R独自の洗練を加えてのライセンス生産だったが、GM400は北米ゼネラルモーターズから購入したものをそのまま装着することになった。つまり、世界一厳しいロールス・ロイスの水準から見ても、改良の余地が残されていないほどに洗練されたオートマティック変速機だったのだ。
一方、シャーシーはロールス・ロイス/ベントレーとしては初めて、ボディ一体型のモノコックとされた。また、これまで半楕円リーフによるライヴアクスルだったリアサスペンションは、シトロエン特許のハイドロニューマティックを採用した自動車高調節付きの独立懸架とされる。モノコック化、そして構造上ドライブシャフトとデファレンシャルをシャーシーに固定できる後輪独立懸架の採用によって、旧来のシルヴァー・シャドウよりも遥かに低い(全高で1626mmから1520mmにダウン)、モダーンなプロポーションを得ることになった。またブレーキについても、シルヴァー・クラウド系では旧来のイスパノ・スイザ式メカニカルサーボ付き4輪ドラムという、1960年代の常識から見てもかなり前時代的だった組み合わせとされていたのに対して、これもシトロエン特許のハイドロニューマティックによる油圧作動の4輪ディスクへと、一足飛びに進化することになったのである。ところが、これらの革新的なアプローチは信頼性や整備性などの点ではやはり不可避的な足かせとなり、シャドウ系モデル、そしてそのテクノロジーを継承したシルヴァー・スピリット系の各モデルは、のちのち頻繁なトラブルに見舞われることになってしまう。また、技術的に未完成な部分もあったせいか、その生産期間内に施された改良は公にされたもの、そして非公式のものを加えると、実に2000箇所以上にも達したという。
しかしシルヴァー・シャドウで、従来のロールス・ロイスから最もドラスティックな変貌を遂げたファクターは、やはりボディスタイルにあると言えよう。これはモノコック化による“トレード・オフ”と言うべきことなのだが、必然的に生ずる設備投資の巨大化ゆえに、単一モデルあたりの生産期間をそれまでのロールス・ロイス/ベントレー製スタンダード・スティール・サルーンよりも格段に延ばす必要が生じたこと、そして従来のようなセパレートフレーム車のように、ボディのデザインを簡単には変更できなくなってしまったことから、そのデザインについては急激な時代の進行の中でも立ち遅れが生じないような、流行り廃りに左右されない普遍的な美しさが求められるようになっていたのだ。
この、極めてシビアな要求を満たすべく決定されたボディデザインは、前述のように“ビルマ”プロジェクトの段階からコンセプトの決定にも関与していたエヴァーデンやブラッチリーを筆頭とする、クルー所属のエンジニアたちによって仕立てられたとされ、S2コンティネンタル時代にパークウォードが製作したクーペ/ドロップヘッドクーペの“ストレート・スルー”スタイルの影響が明らかに感じられる。しかし、グリルズに技術的な衝撃を与えたシトロエンDSと同じく、1955年にデビューしたプジョー403ベルリーヌとよく似たボディラインから、403のデザインを担当したイタリアのピニンファリーナの関与も噂された。もちろん、ロールス・ロイス社側ではその噂に対して何らの回答もしていないのだが、それまでの同社の傑作車たちにも多大なる影響を与え、シャドウ系のデビューから4年後となる1969年には、のちにカマルグとなるクーペのデザインを正式にオファーしていることからも、少なくとも何らかの影響を与えていたであろうことは完全には否定できない。
他方、多様なライバルとの競合を強いられ始めていたこの時期のロールス・ロイスにとって、「The Best Car in the World」のスローガンを最も明確に体現することができたのは、やはりインテリアだったと言うべきだろう。そのフィニッシュは素晴らしいもので、バァ(玉杢)・ウォールナットのウッドトリムとコノリー・ブラザーズ社製最高級レザーハイド、ウィルトンのウールカーペットなどの上質な天然マテリアルが贅沢に奢られている。
そしてシルヴァー・シャドウの誕生に伴って、そのベントレー版となる“T”も、同時にデビューを果たすことになった。クラウド/Sタイプの時代から両ブランドによるスペック上の差は事実上消滅しており、このTでもエンジン、トランスミッションからサスペンションに至るまでシルヴァー・シャドウとまったく同一となっていた。安価な大衆車のような“バッジ・エンジニアリング”でこそないものの、両モデルの違いはもはやフロントエンドに屹立するパルテノン神殿の代わりに、ベントレー伝統のラウンドシェイプのグリルが取り付けられていることに過ぎない。最上級の天然素材を贅沢に使用した素晴らしいインテリアも、シルヴァー・シャドウとほとんど変わらないものとされた。また、ホイールベースを100mm延長したロングホイールベース版も、R-R/ベントレーの双方に用意されていた。ところが、このように両ブランドの性格付けが曖昧になった影響は、歴史的なヒット作となったR-Rシルヴァー・シャドウよりも、ベントレーTのほうにより深刻な形で表れることになる。ベントレーのブランドネームが世界的にも確固たるカリスマ性を得た現代と違って、当時は世界的ブランドたるロールス・ロイスの陰に隠れることになってしまったのだ。そして、クラウド/S時代初期にはややベントレー優勢だったとされる両ブランドの生産台数比は大幅に後退。最終的には、ベントレーTタイプの占める割合が一割にも満たない状況にまで陥ってしまうのである。