1960年代の後半を迎えた時期、ロールス・ロイス社へのオーダーは、アメリカからのものが大きなパーセンテージを占めるようになっていた。必然的に、北米マーケットをメインターゲットにした新型車を開発する必然に迫られたロールス・ロイス社は、アメリカの顧客の嗜好に合わせた清新なデザインのパーソナルカーをラインナップに加える必要性に迫られることになる。それは、従来のコーニッシュでは満足できない、よりエクスクルーシヴなクーペである必要があったのだ。こういった経緯のもとに誕生した“カマルグ”は、ロールス・ロイス/ベントレー・コーニッシュをベースに、よりモダーンなボディと豪華な内容が盛り込まれたR-R最高級パーソナルクーペ。その最大のトピックは、あのピニンファリーナが正式にデザインワークを手がけたボディにあり、コーニッシュ系よりモダーンなイタリアンスタイルでまとめられたスタイリングを身上とするモデルであった。
クルーのエンジニア、エヴァーデン&ブラッチリーのコンビが編み出してきた一連のR-R/ベントレーのスタイリングは、たしかにロールス・ロイスのプレステージに相応しい品格とエレガンスを体現していたのは間違いないのだが、その一方で「古典的に過ぎる」との判断が下されていた。そして1969年、名声と実力を兼ね備えたイタリア・トリノの名門カロッツェリア、ピニンファリーナに新型モデルのデザインを依頼することになったのだ。この決定を下したのは、ハリー・グリルズの引退後に、ロールス・ロイス社のエンジニアリング・ディレクターに就任したジョン・ホーリングスである。もともとピニンファリーナとロールス・ロイス社の縁は浅からぬもので、ピニンファリーナがデザインとコーチワークを手がけたスペシャルオーダーのR-R/ベントレーは1940年代末頃から複数が存在していたほか、例えばシルヴァー・シャドウ系に関してはピニンファリーナの関与があった(たとえ潜在的であったとしても)ともいわれているものの、両社が正式な「ダブルネーム」でプロダクションモデルを製作するというプロジェクトは、この時が初めてであった。ただしコーチワークについては、北イタリア・トリノ近郊グルリアスコにあるピニンファリーナのファクトリーではなく、既にこの時期には完全にロールス・ロイス社の傘下に収まっていたマリナー・パークウォード社のウィルズデン工場にて行われることとされた。
ロールス・ロイス側からピニンファリーナに通達されたリクエストは、「既存のシルヴァー・シャドウ用プラットフォームとランニングギアを流用し、しかも最高級の名に相応しい威厳を保ちつつ、決して古臭くならないデザインを持つ4シータークーペ」だったとされている。創業以来のピニンファリーナの慣例に従って、デザインワークを担当したスタイリストの名前は公表されていないが、当時のマネージメントデザイナーであったレオナルド・フィオラヴァンティの指揮のもと、パオロ・マルティンのスケッチが採用されたというのが定説となっている。パオロ・マルティンは、1970年に製作され、同じ年の大阪万博にも出品されたデザインスタディ“フェラーリ512S‐PFモドゥーロ”でも知られるスタイリストである。ちなみに、新型R-Rクーペのデザインの実質的なオリジンとなったとされる1968年ロンドン・ショーに出品されたベントレーTサルーン・ベースのピニンファリーナ製クーペ、あるいは1970年パリ・サロンに出品されたメルセデス・ベンツ300SEL6.3ベースのピニンファリーナ製クーペは、そのディテール処理からフィオラヴァンティの前任者、アルド・ブロヴァローネの関与が推測されているが、スタイリストの独立性よりも会社全体でのデザイン感覚の統一性を重要視するピニンファリーナゆえに、その美的エッセンスは、新しいR-Rクーペのデザインワークにも充分に生かされることになるのだ。
1971年には試作車“デルタ”が完成、翌’72年から極秘のロードテストが繰り返されたのち、1975年3月、ロールス・ロイス・カマルグは大々的なデビューを果たすに至った。そのネーミングは、同じスペシャルボディ&2ドアパーソナルカーのコーニッシュが、南仏のリゾート地に由来する車名を与えられていたことに倣って、南仏プロヴァンス地方の地中海とローヌ河の二つの支流に囲まれたデルタ地帯から名づけられたものである。風光明媚なカマルグ地域はフランス最大の湿地帯にして、フランス唯一のフラミンゴの繁殖地としても知られる高級リゾート。また、カマルグ・デルタに広がる広大な塩田からは、フランスきっての高級岩塩も産出されるという。このデルタ地域の名を冠することが既に決定していたかどうかは定かでないのだが、カマルグの開発時のコードネームが上記のごとく“デルタ”とされていたのは、今となっては実に興味深い事実と言えよう。
シャーシーについては、シルヴァー・シャドウ系およびコーニッシュ系と共通のフロアユニットを流用していたが、トレッドが拡幅されたため、全幅も90mm広い1920mmとなっていた。ボディは2ドア5座のクーペのみで、コーニッシュのようなドロップヘッドクーペは用意されていない。これは、当時の時代背景を見ればやむを得ないところだろう。他方、コーニッシュの上位にランクされるモデルだけに、そのフィニッシュは当時の自動車として考え得る最上級のもの。パワーウインドー、8方向のパワーシートおよびパワーのバックレストリリースなど各種の電動アシストが盛り込まれたほか、のちにR-R/ベントレー全車に導入されることになる自動の2レベル式エアコンシステムも備わっていた。
また、シトロエン特許のハイドロニューマティック車高自動調整装置付きの全輪独立懸架をはじめ、メカニカルコンポーネンツはシルヴァー・シャドウ/コーニッシュと共通だが、V8OHV6747ccエンジンは4バレル・キャブレターや無接点式イグニッションなどの採用により、そのマキシマムパワーを8~10%ほど向上させていたと言われている。ただしこのチューニングは、直後にシルヴァー・シャドウ系およびコーニッシュ系にも施されることになった。一方、’79年3月にはコーニッシュ系とともにリアサスペンションが改良された上に、さらに’81年になるとベースモデルがシルヴァー・シャドウ系からシルヴァー・スピリット系へとスイッチ。そのV8OHVエンジンにも若干の変更が施されることになった。
カマルグは、1975年から87年の間に525台(ほかに529台説や534台説も存在する)が生産された。その内の12台は、スタンダードのカマルグの生産が1986年に終了した翌年となる’87年に、「アメリカでのロールス・ロイス発売80周年記念モデル」として限定製作されたファイナルバージョン、“カマルグ・リミテッド”である。
またベントレーのグリル&ボンネットを持つカマルグも、1985年にわずか一台のみだが、正式に製作されている(Ch./No. SCBYJ000XFCH10150)。