一方、彼ら一握りの富裕層を購買対象としていた老舗の超高級車メーカーたちも、その潮流に抗うことなどできなかった。例えば、アルファロメオやパナール・ルヴァッソールのごとく、大衆にも手の届くクラスのモデルをマス・プロダクションで生産する大規模量産メーカーへと苦渋の変節を強いられるか、さもなければイスパノ・スイザやドラージュ/ドライエ、イソッタ・フラスキーニ、パッカード、そしてブガッティのごとく、乗用車生産からの撤退ないしは倒産という最悪の選択を余儀なくされてしまったのだ。そのシビアな状況は、1904年の創業以来約40年以上もの長きにわたって“The Best Car in the World”の名をほしいままにしてきた名門ロールス・ロイス、そして1931年からR-Rのパートナーとなったベントレーとて同じことであった。しかし、彼らはそんな困難な状況にあっても、あくまで開祖ヘンリー・ロイスが開拓した自動車づくりのフィロソフィーと方法論にこだわり続け、時代と事情の許す限り己が伝統と美風を護り続けたのである。