1950年、ロールス・ロイスは、史上初めて英国王室のために新造した一台のスペシャルモデルを上納することになった。それがファンタムⅣ。第二次世界大戦前の1939年をもって生産中止とされたファンタムⅢ以来、11年ぶりに復活したロールス・ロイスのトップグレードである。1900年に、当時の皇太子(翌’01年に王位に就く)だったエドワード7世がデイムラー車を買い上げて以来、ちょうど半世紀にわたって英国王室御用達の自動車メーカーはデイムラーと決まっていたのだが、あくまで英国内のドメスティックなブランドに過ぎなかったデイムラーに対して、既に世界的なトップブランドとして絶対的な評価を獲得していたロールス・ロイスの名声をさらに高めることは、外貨の獲得が金科玉条となっていた当時のイギリスでは、もはや国策としても必要なことと判断されたのである。もちろん、ロールス・ロイスの航空機用エンジンのPR効果も期待されていたことは言うまでもない。さらに、当時既にモーターサイクル・メーカーのBSAグループ傘下にあったデイムラーは慢性的な経営危機状況にあり、その行く末に不可避的な不安があったことも、御料車の製作がロールス・ロイスに委ねられた大きな要因の一つだったに違いない。このファンタムⅣ御料車の直接のオーダー主は、エリザベス王女(1952年に即位、エリザベス二世女王となる)とデューク・フィリップ・エディンバラ(いわゆるエディンバラ公)夫妻であった。
ファンタムⅣについてのお話しに入る前に、そのパワーユニットについて説明しておかねばなるまい。ロールス・ロイス社は、第二次世界大戦の開戦を間近に控えた1938年に、3種の軍用ガソリンエンジンを開発していた。直列4気筒2.8Lの“B40”、直列6気筒4.5Lの“B60”、そして直列8気筒の“B80”である。“Bレンジ・エンジン”の別名で知られるこれら一連のユニットは、3機種ともに共通のボア×ストローク(88.8×113.4mm)を持つことからもわかるように、局地でのメンテナンス性向上のためにコンポーネンツの供用化を図った、いわゆる“モジュラー設計”とされていた。シリンダーヘッドは、吸気がOHV/排気がサイドバルブの、いわゆる“Fヘッド”である。B40は、オースティン社製のジープタイプ多目的車“チャンプ”に使用された。B60は、戦後型R-R/ベントレー用6気筒Fヘッドのエンジンの設計上のベースとされたほか、ハンバー社製の軍用トラックとデイムラー社製“フェレット”装甲車のパワープラントとして搭載されたことでも知られている。加えて、のちにオースティンとロールス・ロイス、名門コーチビルダーのヴァンデン・プラによる3社コラボレーションにて生産された中型高級サルーン、“プリンセス3リッター”および“4リッターR”用パワーユニット“FB60”系のベースにもなっている。そして8気筒版のB80は、複数の軍用車両に加えて、英国の有名な消防車両メーカー、デニス社大型消防車などにも採用されることになった。つまり、この一連の“Bレンジ・エンジン”は、R-R/ベントレー・ブランドの乗用車用パワーユニットというよりは、あくまで軍需産業を含めた社外に供給するビジネスのためのエンジンだったのだ。とはいえ、ロールス・ロイス技術陣は、B80エンジンを自社の乗用車用エンジンとして使用する可能性についても比較的早い時期から注目していたようで、第二次大戦の真っ只中に、B80型直列8気筒を搭載する複数のプロトタイプを、純粋な実験モデルとして試作することになった。
B80ユニットを搭載したプロトタイプの中でも最も有名な車は、ベントレー・マークⅤシャーシーを流用した“スコールド・キャット(Scald Cat=やけどしたネコ)”であろう。その名のとおり、まるでやけどしたネコのように速く走るほどの強烈なパフォーマンスを披露し、しばしば貸与されていた若き日のエディンバラ公を魅了したという。この試作車は、1944年にE.W.ロボサムが示した戦後R-R/ベントレーの新ラインナップ計画にて、ベントレー・ブランドの新たな最上級グランドトゥアラーとなることが期待されていた“シルヴァー・リプル”プロジェクトの基礎研究のためのものであった。ところが問題のスコールド・キャットでは、B80ストレート8エンジンのパワーがシャーシーのキャパシティを完全にオーバーしていた上に、過大なエンジン重量ゆえに、ハンドリングはベントレーの要求するレベルにまったく到達していなかったとされる。乗用車への転用を図るに当たってアルミブロック化も検討されたというが、メカニカルノイズをロールス・ロイスの求める基準値に収めることが不可能と判断、断念するに至ったという。結局スコールド・キャット、“そしてシルヴァー・リプル”プロジェクトはシリーズ生産化のためのプロセスに移されることなく、残念ながらワン・オフの試作のみに終わることになったのだ。
他方もう一つのプロトタイプは、ロールス・ロイスの戦後モデルとして開発・製作され、同社の社用車として公式行事などに使用されたという、7人乗りリムジーンの“ビッグ・バーサ(Big Bertha)”。そしてもう一つが、チーフエンジニアのE.W.ヒーヴス卿に貸与されていた“ビッグ・バーサ”のショートバージョン(5座トゥーリング・リムジーン)である。スコールド・キャットと同様に、残る二台のB80エンジン付きスペシャルR-Rもプロトタイプに終わったのだが、結果としては、のちのファンタムⅣの実質的なプロトタイプとなったと見て間違いあるまい。また、英国王室がファンタムⅣをオーダーした際には、スコールド・キャットを試乗したエディンバラ公の強い推挙があった可能性が高いだろう。
こうして10年以上の研究期間と、複数のプロトタイプを経て完成に至ったロールス・ロイス・ファンタムⅣは、ストレート8の専用パワーユニットとホイールベース145インチ(約3.7m)という巨大なサイズを除いてしまえば、シルヴァー・レイスに代表される1940-50年代ロールス・ロイスの文法を忠実にトレースしたモデルとなった。ラダーフレームのレイアウトはもちろんのこと、前ダブルウィッシュボーン/後リーフ・リジッドのサスペンションについても、シルヴァー・レイスと事実上共通のものとされていた。