ワクイミュージアムを開設した日のことは忘れられません。2007年8月7日の18時から、オープニングパーティを行いました。300人以上もの方々が集まって下さり、大盛況でした。参加申し込みのお返事をいただいた時に真っ先に心配したのは、ゲスト用駐車スペースです。300人ですから、乗り合ってお越しいただく方々を含めたとしても、とてもすべてをミュージアムに収めることはできません。近所の工場や倉庫などに頼み込んで、クルマを停めさせてもらいました。それを見たコーンズのスタッフが、「ロールスロイスとベントレーの新車が、うちで一番大きな本社ショールームよりもたくさん駐まっている」と驚いていました。加須市の市長をはじめ、「カーグラフィック」創刊編集長の小林彰太郎さん、マツダ・コレクションの松田芳穂さんなど多くの方々に集まっていただきました。
小林彰太郎さんをお迎えできたことは感慨深かったです。白洲次郎が戦前のイギリスで新車で購入して乗っていたベントレー3.0リッターが現在でも走行可能な状態でイギリスに存在していることを教えていただきました。その経緯については第4回に書いた通りです。2004年に私のもとにやってきた白洲号がミュージアム開設の大きなキッカケになった経緯も書きました。
ロールスロイスとベントレーのクラシックカーを販売するだけでなく、集めたクルマを見てもらいたい。自分一人で抱え込んでしまうのではなく、その素晴らしさを多くの人と共有したい。もちろん、歴史と伝統に触れてもらうことが販売の助けにもなります。そんな想いをずっと抱いていました。
ありがたいことに、常連のお客さまも少しづつ増えていっていました。何台も買い換えていただいたり、複数台数をお持ちになって楽しまれている方々もいらっしゃいました。都心から50kmの道を運転して加須にやってきて、私とクラシックカーの話をするだけで満足して帰っていかれます。そうしたお客さんが集うコミュニティというか、サロンのような場所に育っていっていました。ならば、それをオープンにして、他の方々も気軽に仲間に入れるようにできないか。そのための施設というか、自動車文化を共有する場のようなものをつくれないものだろうか? そんな想いがミュージアム開設の最も大きな動機のひとつになっています。
ミュージアムを造ると決めてから、3か月ぐらい掛けて建物、敷地の舗装、芝生などを準備していきました。専門の業者に依頼したところもありますが、我々自身でも作業したところもあります。
展示するクルマは14台。
この順番は、私が入手した時系列通りです。1台ずつ購入していったものもあれば、複数台をまとめて一度に手に入れたものもあります。相手も、国内外さまざまでした。
1988年にアメリカのジム・リックマンモーターズを訪れ、購入した1960年 ベントレーS2コンチネンタル by H.J.マリナーから私のコレクション、つまりワクイミュージアムは始まりました。このクルマは私が日常的にも乗っていて、都内での移動から加須への高速道路走行までオールマイティに活躍してくれました。運転していてクラシックカーだから不安に感じるようなところは皆無で、キチンと整備を施せば実用性は確保できると、のちのちへの大きな自信となりました。S2コンチネンタルの内外装の意匠と仕上げの素晴らしさは、所有してみて深みが増していきました。美術品や骨董品の世界でも、「良いものほど見飽きない、美の発見が続いていく」と言われますが、このクルマはまさにその通りで、さまざまな魅力と美しさを示し続けてくれました。
いま思い返してみれば、これが最初の一台となったことで、その後の私のコレクションの充実が牽引されたと考えることができないでしょうか。それほど魅力的でした。
以降の13台も、いつ、誰から譲ってもらったか、すべて正確に思い出せます。第3回に書いたように、クラシックカーは新車と違って、“想い続けていれば、いつかは必ず手に入るもの" なのです。おカネがなければ買えませんが、おカネだけ持っていても手に入れられるとは限らないというところがクラシックカーの醍醐味であると書いた通りです。
7台ずつ計14台で、ロールスロイスとベントレーの歴史を正統的、教科書的に網羅しているわけではありません。あくまでも私の価値観と美意識によるプライベートコレクションです。しかし、14台を前にすれば、私はロールスロイスとベントレーがいかなるクルマであって、その魅力がどこにあるかを誰にでもわかりやすく説明することができます。歴史と伝統を7台ずつのコレクションで、私なりに “表現" したつもりです。あくまでも、 “ワクイというフィルター" を通した展示となりますが、それこそがまさにプライベートコレクションというものの勘どころなのだと思います。
ミュージアム開設前に、小林彰太郎さんに相談に乗ってもらっていました。どんなミュージアムを造るべきか? そのためには、何を大切にしなければならないか? 世界の自動車博物館事情に詳しい小林さんにはいろいろと教えていただきながら、準備を進めることができて感謝しています。その結論として、ふたつを定めました。
「展示しているクルマは、いつでも走り出すことができるよう “動態保存" する」
「規模の大きさではなく、内容の独自性を追求していく」
動態保存は説明の必要はないでしょう。乗って、走らせて、その魅力をお伝えしたいからです。内容の独自性も、私のプライベートコレクションでありながらも、ロールスロイスとベントレーの歴史と伝統を表していると自負していました。そのクルマの歴史的な位置付けや機械的な特徴などに加え、どんなオーナーに所有され、どのようなエピソードを持っているかという来歴も重視していました。白洲次郎のベントレー・3.0リッターと吉田茂のロールスロイス 25/30HP スポーツサルーンなどは、まさにその観点からコレクションには外せません。日本にあるべきロールスロイスであり、ベントレーだからです。海外から来たものもありますが、14台の中には新車から日本にあったクルマもあります。何十年も昔に新車でロールスロイスやベントレーを注文できる人ですから、普通の人ではありません。そうしたオーナーさんの型破りなエピソードなどもロールスロイスとベントレーのクラシックカーならではのものでしょう。
ミュージアムを開設できて良かったと思えることが、もうひとつあります。それは、コレクションを公開することによって、地元の加須の人たちと近付けるようになったことです。それまでも、ロールスロイスとベントレーのクラシックカー販売店と認識していただいていましたが、ミュージアムを名乗るようになってからは誰にでも見学できるようになりました。以前から、何らかの形で加須に貢献できたらいいと考えていましたが、少しづつ形にしていくことができました。当時の副市長さんがクルマ好きで、小学校の課外授業のひとつに組み込んでいただいたり、私が観光大使を仰せつかるようになったり、結び付きが増えていったのもミュージアムを開設してからのことです。
林彰太郎さんからは、「これだけのクルマと場所があるのでミュージアムは造れるでしょう。でも、涌井さん、覚悟はありますか?」と確かめられたことがあります。造るのは簡単だけれども、維持することは難しいということなのか?維持できたとしても、20年先、30年先、あるいは50年先にはどうするつもりなのか?「集めた以上は責任が伴いますよ」小林さんは、そう質したかったのかもしれません。
創業時に、「日本人には売りたくない。クルマがどうされてしまうかわからないから」と断られることが多く、その悔しさをバネにして商売を続けてきました。ミュージアム開設によって、想いを遂げられたようなものでしたが、“まだその先にずっと続いていくのですよ" と小林さんに諭されたようなものです。今でも、私の胸中に響いています。