クラシックカー・ビジネスほど、景気の影響を大きく受けるものはないでしょう。
クラシックカーは通勤や買い物などの実用には適していないばかりか、楽しむには相応のおカネと時間が必要になります。つまり、余裕のある人にしか楽しめない趣味なのです。自分の30年を振り返ってみると、その時代々々で景気の良い人たちがクルマを買ってくれていました。私も結果的には、そうした人たちばかりを相手にしていました。
今から10年ほど前のリーマンショックの影響は甚大でした。お客様からの引き合いや問い合わせがピタリと止まり、点検や整備などの依頼も途絶えたほどです。そんなことは初めてでしたから、どうやったら以前の状態に戻すことができるのか見当も付きませんでした。
点検や整備にクルマが入ってこないわけですから、工場もヒマになりました。メカニックたちも、最初のうちは工場の清掃や工具、機械類のメインテナンスなどを行なって備えていましたが、次第にやることがなくなってしまいました。私は、その状況を手紙に書いてお客様にお伝えしようとダイレクトメールを発送することにしました。
「こんにちは、“くるま道楽" の涌井です。おクルマは、快調に走っておりますでしょうか?昨今の状況により、工場のメカニックがヒマにしております。点検や整備などもすぐに取り掛かれますので、ご用命下さい。また、時間に余裕がありますので、お好みの仕様へのモディファイなども、ふだんなかなか取り組めなかったような仕事などもすぐに着手できますので、何なりとお申し付け下さい」
工場がヒマだというのはポジティブなことではないので最初は躊躇してしまいましたが、思い切って出すことにしました。出して良かったです。すぐに、お客様からご返信やお電話をいただいけたからです。ある方のお手紙には、ハッとさせられました。
「涌井さん、ご無沙汰しております。お手紙ありがとうございました。懐かしい気持ちで読まさせていただきました。あの後、私はいろいろありまして、残念ながらクルマは処分してしまいました。そのことを報告したかったのですが、手放してしまってはもう涌井さんに会わせる顔もなく、お店にも足が向かなくなってしまいました。また、いつかロールスロイスに乗れる日が来ると良いのですが。その時は、よろしくお願いいたします」
手掛けている事業がうまく運ばなくなり、会社とともにクルマも整理されたそうでした。しかし、その後に立て直して、私からまたクラシックのロールスロイスを購入いただきました。
また、もうひとつの例はお客様が不幸にして亡くなられ、連絡が途絶えてしまった方の話です。
今から20年ほど前に1978年型のベントレー・コーニッシュをお買い上げいただき、13年前にお亡くなりになったお客様がいらっしゃいました。亡くなられたことは知りませんでした。そのお嬢さんから、没後13年経ってお電話をいただきました。
「父からは、“私が死んだら、クルマは涌井さんのところへ持っていけ" という遺言を授かっていました。しかし、父が生前に大切にしていたクルマなので、しばらくは手を付けませんでした。母も、形見のつもりに思っていました」
しかし、お気持ちの整理も付いたので、私のところに電話を掛けてこられたのでした。もちろん、そのクルマのこともお客様のことも良く憶えていましたので、すぐにご自宅に伺いました。13年ぶりに、一緒にガレージを開けてみました。13年間ガレージを開けなかったというところに、ご遺族の想いが現れているような気がしました。トラックに乗せて工場に運び、レストアするのに半年掛かりました。完成のご連絡を差し上げると、お嬢様はお母様と自分の子供を連れ、三世代で来ていただきました。
「子供の頃、父が運転するこのクルマに乗って、ラリーに出場したのを憶えています」
レストアが完成したクルマを眺めながら、お嬢様には往時を懐かしんでとても喜んでいただきました。お母様は言葉少なげにクルマを見ていらっしゃいましたが、その瞳には涙が溢れていました。
「ずっと残しておきたかったのですが、家族には引き継いで乗る者もおりませんので、どなたかいらっしゃれば良いのですが……」
私のところでお預かりすることにして、半年後に売れました。
どちらの例からも、私は強く感じるものがありました。それは、月並みな表現ですが、
「お客様とのコミュニケーションを絶やさない」ということと「こちらから積極的に連絡を入れることも大切」ということです。
具体的には、以前にクルマを売ったお客様で、その後、やり取りがなくなってしまった方々にこちらからアプローチしてみるのです。さまざまな事情からクルマを手放してしまった方々へも、こちらから声を掛け、関係を絶やさないでおくことがいかに大切なことなのか強く自覚しました。
手紙のお客様のように、「会わせる顔がない」と遠慮されてしまっている方もいらっしゃるのです。関係が途絶えたかに思えた方々の中にも、状況が好転して、またお付き合いさせていただくことになる方もいらっしゃるのです。最近のお客様だけでなく、以前のお客様のフォローも怠れません。
お客様に「もう、行けないんじゃないか」と気を遣わせちゃダメなのです。そこがクラシックカー・ビジネスの難しいところであり、また醍醐味でもあります。
お二人の例は偶然によるものでした。しかし、来年あたりから私から連絡を入れ、クルマの様子を伺う訪問活動を始めようと考えています。眼の前に仕事として現れているクルマとお客様だけでなく、世に埋もれたクルマに再び陽の眼を当てることも、またクラシックカーを後世に継承するために欠かせないと考えるようになったからです。
クラシックカーを販売するだけでなく、走って楽しんでいただくお手伝いに今後もより一層力を注いでいく所存です。