私が初めて売ったクラシックカーは、ロールスロイス・シルバーシャドウでした。すでに日本にあったものを個人のお客さんに売りました。個人から買い、個人に売りましたから、個人売買を仲介したような形になりますね。ロールスロイス社が日本で新車を販売したのは1969年のシルバーシャドウからのことで、それ以来の中古車が日本には存在していて、そのうちの一台を販売しました。このようにして、私のクラシックカービジネスは自宅の一室をオフィス兼ショールーム代わりにして始め、もちろん、まだ加須の工場などはありません。
そのシルバーシャドウは、機関部分には問題ありませんでしたが、板金と塗装をやり直す必要がありました。そこで葛飾区にある広島自動車という工場に持ち込み、キレイにしてもらうことにしました。最初の見積もりで3か月と言われ、経過報告を待っていましたが何の連絡もありません。心配になって、2か月経った頃に工場に見に行きました。驚いたことに何も手が付けられていないのです。
「納車まであと1か月なのですが、大丈夫でしょうか?」
社長の迫田さんは諭すように私に語り掛けました。
「まぁ、そこに座って。この業界では、 “3か月掛かる" と言ったら、1年掛かるものなんですよ。そういうものなんだ」
何も知らなかった当時の私に、迫田さんは当時の自動車修理業界のやり方というか、ペースというものを優しく教えてくれたのでした。
でも、当時の私はそれを素直に承服することができませんでした。20年間勤めていたセイコーでの仕事の進め方とあまりに掛け離れていたからです。セイコーでは、「1か月と言われたら、20日で完成させて提出する」という企業カルチャーが隅々まで行き渡っていたからです。でも、そういうものかと納得するわけにはいきません。納期は迫っていて、お客さんに納めなければビジネスが成立しないからです。翌日から、私は工場に毎日通って、自主的に作業を手伝うことにしました。迫田さんに命じられたわけでもなく、そうすれば間に合うかもしれないと考えたのです。もちろん、プロの技能が要求されるような高度な作業はできませんから、もっぱら下準備を手伝いました。ボディに紙ヤスリを掛けて塗装を削り落とす作業を毎日々々、教わりながら行っていました。迫田さんをはじめとする工場の人たちが他のクルマに取り掛かっている横で、私は黙々と紙ヤスリで古い塗装面を擦っていました。「涌井さん、明日からもう来なくていいよ。続きは俺たちがやるから」私のぎこちない手付きを見兼ねたのか、一週間後に工場に行くと塗装職人さんたちが作業を代わってくれていました。それから数日してシルバーシャドウは完成して、無事に納車に間に合い、胸を撫で下ろしました。
仕事の納期に関しての感覚の違いにはビックリさせられましたが、この一週間で私は多くのことを学ばさせてもらいました。ひとつは、チームワークの大切さ。迫田さんは従業員たちから慕われていて、人間味あふれる社長でした。その人柄とキャラクターが工場をまとめ上げていました。二つ目は、一週間通って下準備作業を手伝ったおかげで、板金と塗装の作業の大まかな流れを学ばさせてもらったことです。それまでも、自分のクルマの塗装作業などを見せてもらって知っているつもりでしたが、迫田さんに作業の流れや勘どころなどを教わりながら下準備を手伝ったので、実学というのでしょうか、クラシックカーの再塗装をどのように行うかということを確実に習得することができました。大袈裟に言うと、“働くことの意味" や “仲間と力を合わせてひとつのことを成し遂げるために必要なこと" を学びました。それまでの人生では経験できなかったことを体験できた、貴重な一週間でした。
セイコーのような大企業でずっと働いていた者としては想像すらできませんでしたが、その一週間で身を以て学ばさせてもらったと感謝しています。また、当時の輸入車販売業界全体のいい加減な仕事ぶりには呆れていました。特に、東京の環八道路沿いに並んでいた販売店などはヒドいところが多かった。ある店に、ロールスロイス・シルバークラウドが1500万円で売りに出ていたので見に行ったことがあります。良ければ、自分で買うつもりでした。整備などはその店に頼めるのか訊ねると、答えに呆れてしまいました。「こういうクルマを買うような人は、整備のことなんか聞く人はいない」この店ではクルマを売りっ放しにしていて、売った後に故障しても相談にも乗ってくれないというのです。そんな商売が許されるのでしょうか?私はそのいい加減さに呆れるとともに、自信のようなものが湧いてきました。つまり、これは顧客の立場に立って納期を守り、きちんとコミュニケーションを欠かさないようにやればビジネスになるのではないか? 当たり前のことを当たり前に行えば、クラシックカー販売において何の経験もノウハウもなかった私でもやっていけるのではないか?そんな確信めいた手応えを感じていました。それほど、当時はいい加減でヤクザな業界だったのです。
クラシックカービジネスの世界に入った時には、右も左もわからず、果たしてやっていけるものだろうかと不安に思わないでもないでしたが、当時の業界を客観視すればするほど、「この通りにやっていては未来があるわけない」と自分の信じる道を行くことができました。それは間違っていなかったと、30年経って自負するところに変わりはありません。