涌井清春ヒストリー
「私の半生」

第13回

創業時にアメリカから学ぶものも多かった

イギリスの象徴とも呼べるようなロールスロイスとベントレーのクラシックカーを扱っているのにもかかわらず、ワクイ商会は創業時にアメリカとの縁が深かったのです。そのキッカケとなったのが、アメリカのカリフォルニア州パサディナにあったジム・リックマンモータースという自動車販売店でした。ロールスロイスとベントレーの中古車販売業者です。当時アメリカに住んでいた義弟と一緒に、西海岸の業者を何軒も訪ねたうちの一軒です。

ジム・リックマンモータースは、ロスアンジェルス近郊のロールスロイス、ベントレーのクラシックカーのスペシャリストで、ハリウッドの上得意客を多く抱えていました。

最初は、そこからクルマを輸入して、日本で売っていました。文京区弥生の自宅の一部をオフィスにし、埼玉県加須市の今とは違う場所に保管場所を借りて、まだ「くるま道楽」という屋号で営業していた頃です。もちろん、ロールスロイスとベントレーのクラシックカーはイギリスが本場であることは重々と承知していましたが、当時の私には直接にアプローチする手立てやツテもありませんでしたから、“本場イギリス”はとても敷居が高かったのです。

ジム・リックマンモータースの工場の技術は確かで、知識と経験も豊富でした。くるま道楽のメカニックを派遣して、研修を行ってもらったこともありました。すぐに、オーナーのジム・リックマンから“引退するので、会社を買わないか?”と持ち掛けられ、思い切って買収しました。ジム・リックマンモータースから得たものは、とても多かったです。アメリカ人の良いところで、私のような新参者にも親切にいろいろと教えてくれ、さまざまな人を紹介してくれました。その中でも、ジム・リックマンからドナルド・ウイリアムズを紹介されたのも幸運のひとつでした。ウイリアムズは、サンフランシスコ近郊にできたばかりのブラックホーク・コレクションのオーナーです。ウイリアムズは21歳の時からカリフォルニアでクラシックカービジネスに携わり、その知識と経験の豊富さに頭が下がりました。

ブラックホーク・コレクションはサンフランシスコの市内から30マイルほど東のダンヴィルというところにあります。ミュージアムと販売店を併せ持った施設です。訪れるためには事前の予約が必要という敷居の高さですが、それだけの内容がありました。建物も、それ自体が鑑賞の対象となるような素晴らしいものです。ウイリアムズと知己を得てから、ロールスロイスとベントレーのクラシックカーを3、4台買ったことがありますが、いずれも素晴らしいものでした。

彼を紹介されたのは1988年か89年のことでしたから、日本はバブル景気に湧き、その反面、アメリカは不況に苦しんでいました。ウイリアムズに鋭い指摘を受けたことがあって、今でもよく思い出しています。

「いま、アメリカで4、5万ドルで売っているロールスロイス・シルバークラウドが東京では1500万円で売られている。それぞれのマーケットでの相場が違うから、内外価格差がこんなにも大きくなっているけれども、いずれ両者の相場は近付き、違いはなくなるだろう」

当時はインターネットもまだありませんから、欧米のクラシックカーの相場など誰も知りませんでした。バブル期という時代もあって、そこに胡座をかいて悪質な商売をしていた業者がいたことは以前にもお話しした通りです。

「アメリカと日本の間だけではなく、ヨーロッパとも情報は共有化され、相場は平準化、一本化していくはずだ」

ウイリアムズの予測は具体的でしたが、私にはまだ半信半疑でした。でも、ブラックホーク・コレクションや彼の仕事の進め方などを傍から見ていると、頷かざるを得ませんでした。ブラックホーク・コレクションに限らず、当時の日本では「アメリカのクラシックカーはビカビカ過ぎる」と言われていました。オリジナルの姿に戻すレストアではなくて、新車以上に光り輝いていたり、新車とは異なった仕上がり方をしているとやや蔑まされていたのです。確かにアメリカではそういう傾向があったことは認められましたが、それもレストアを行った業者なり工場による差が大きかったのも事実です。ウイリアムズ率いるブラックホーク・コレクションの逸品揃いのクルマたちは決してビカビカではありませんでした。

ウイリアムズが案内してくれた工場を見て、アメリカにもいろいろとあることを知ったのです。倉庫のように広大な工場で、レストアが行われていました。1台のクラシックカーに多くの工員が取り掛かり、作業がテキパキしています。見ていると、工員の担当作業が明確に決まっているようでした。たとえば、エンジンをレストアしようとしているクルマでは、分解する人、パーツを整理して交換する人、再度組み上げる人といったように完全に分業化されていました。分解の仕事が済んだ人はそのクルマを離れ、次のクルマのエンジンの分解に取り掛かるといった次第です。もちろん、クラシックカーのレストアは予定した通りに進むものではありません。分解してみたら予想よりも症状が悪化していたり、原因が予想と違っていたりすることの方が多いくらいです。

ブラックホーク・コレクションのレストアの秘密は“コンダクター”にあることがわかりました。つまり、レストアの指揮者です。入庫してきたクラシックカーがどんな状態にあり、どこをどう直せば良いか見極め、必要な作業の指示を的確に工員に出せるコンダクターが優秀なのです。コンダクターは方針を定め、進捗状況を確認し、スケジュールを管理する。実際の作業は行いません。ウイリアムズに質すと、その通りだと認めていました。

日本とはまったく違っていました。日本では、一人の職人が多くのことを兼務していて、ほとんどの作業を自分一人で行います。念入りにじっくりと取り組むというと聞こえは良いですが、スケジュール管理が曖昧になり、遅れることが増えます。その点、ブラックホーク・コレクションのように、レストア計画を策定し、進行状況を管理、監督する人間と実際に作業を行う人間が分かれていた方が効率的に進みます。シルバークラウドをフルレストアする場合に、ブラックホーク・コレクションなら3か月で仕上げられるとウイリアムズは言っていました。当時の日本なら2年掛かっていました。

早いから作業が雑になるのではなく、正反対でした。作業に入る前に、何をどう行うべきかレストアの方針がキチンと定められ、始まってからも予定通りに進行しているのかが厳しくチェックされていました。理にかなっていて、とても合理的でした。眼からウロコが落ちたの喩え通り、その作業の進め方にとても驚かされ、影響を受けたものです。もちろん、アメリカには富が集まり、モータリゼーションの歴史も古く、それに比例して素晴らしいクラシックカーも集まってきているという大前提が日本と違うことは事実です。景気に左右されないような超大金持ちがたくさんいて、スゴいクルマがたくさんあります。

ゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツがドイツで自動車というものを発明しましたが、それをベルトコンベア方式で大量生産し、価格も下げて大衆のものとしたのはアメリカのヘンリー・フォードです。ブラックホーク・コレクションのレストアの進め方からは大いに学ばさせてもらいました。その考え方や仕事の進め方の根底には、やはりアメリカ的なプラグマティズム、実用主義が流れているのではないかと考えた次第です。

この後、私はイギリスに縁を得て、アメリカからクルマを仕入れることはなくなってしまうのですが、今でもアメリカのことは忘れていません。アメリカのクラシックカーにはピンからキリまであって、いちがいには捉え切れません。そのトップエンドの存在であるブラックホーク・コレクションと付き合えたことはその後の私に大きな影響を与え続けています。ウイリアムズは今でもブラックホーク・コレクションのオーナーであり、素晴らしいクルマを送り出し続けています。

(構成:金子浩久)

(第13回 了)

 

 

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