涌井清春ヒストリー
「私の半生」

第12回

お客さんとも一緒に学んでいった

前回、創業時に板金と塗装の職人さんから学ぶことが多かったと書きましたが、同じように、お客さんと一緒に学ぶことも多かったのです。ロールスロイスとベントレーのクラシックカーを販売し始めましたが、最初のうちは手探りでした。

まず、クルマのことを知るための情報がほとんど手に入りませんでした。日本語で書かれた文献も何冊かはありましたが、書かれていた内容は限られていました。そこで洋書を購入し、英語の堪能な友人に翻訳を頼みました。定期購読するようになった欧米の専門雑誌なども、自分でも辞書を引きながら知識を増やしていきました。

「いったい、どんなクルマがあるのか?」

以前の回でもお話ししましたが、ロールスロイスやベントレーのクラシックカーには、コーチビルダーで誂えられたボディが架装されたクルマが多いので、調べれば調べるほど知らないクルマが出てくるのです。それはお客さんも同じ状況でした。コーンズからロールスロイスやベントレーの新車を何台も買って、乗り継いできたような人でさえ、ちょっと前のクルマとなるとわからないことが多かったのです。

「カマルグって、どんなクルマでしたっけ?」

カマルグのような比較的新しいロールスロイスでさえ、実物を見たこともなければ、乗った話を聞いたことがなかったのですから仕方ありませんね。

その頃は、いまオフィスとして使っているフロアがもっと広くて、3台クルマを展示していました。応接用のテーブルと椅子を置いて、お客さんと対応していました。そこに、ありがたいことにお客さんがいつも集まってくれるようになりました。雑誌に広告を打ったこともなく、場所もわかりにくいところだったので、ほとんどのお客さんは誰かと一緒に来たか、紹介されて訪ねてきてくれました。扱っている商品がクラシックカーですから、右から左に売れるわけではありません。私もいつも忙しなくしているわけではありませんから、お客さんの訪問を歓迎し、会話を楽しんでいました。

私は店主であると同時にコレクター仲間でしたから、お客さんと一緒になってロールスロイスやベントレーのことを喋っているのが楽しかったのです。前述したように、まだロールスロイスとベントレーに関してわからないことだらけだったので、お客さんと一緒になって調べ、それをお互いに報告し合い、知識を増やしていっていました。

店が、ある種のサロンと化していたのですね。共通の趣味嗜好を持った仲間が集い、互いに研鑽を重ね、楽しみを分かち合っていました。わからないこと、知らないことがあれば、手分けしてみんなで調べ、解決し、その答えに感嘆しながら共有していました。ロールスロイスとベントレーのクラシックカーの研究会のようなものでした。人が人を呼び、週末などは大勢で賑わっていました。

「涌井さんから、ぜひ買いたい」

社交辞令が半分だとは思いますが、ありがたいことに、中にはそう言って訪ねてきて、買ってくれお客さんも出てきました。クルマの販売店というよりも、まさにサロンでした。涌井のところに行けば、ロールスロイスとベントレーのクラシックカーのオーナーたちが集っていて、和気藹々と楽しんでいる。そんな風に思ってくれた人たちが寄ってくれて、結果的にそれが商売につながっていっていました。集まって、いろいろな話をしました。 「オーナーズクラブを作ろう」という話も、ここから生まれていきました。

誰かが、「欧米にあるような、ロールスロイスとベントレーのクラシックカーのオーナーズクラブを作ったら良いのではないか」と口にしたところ、別の人が「日本にも、大昔に存在していたらしいですよ」と応えました。「だったら、そこが今でも活動しているのかどうか確かめる必要がありますね」

その人たちは、大昔に日本にも存在していたというそのクラブのメンバーを探し当て、訪ねてきました。それによると、そのクラブはすでに活動を停止しているので、我々が新たに作っても問題ないことがわかりました。

「以前に、アメリカのロールスロイスオーナーズクラブの一行が日本にクルマを持ち込んで、東京から大阪までツーリングしたのを、その日本のクラブがサポートしたこともあると言っていました」

その報告を聞いて、アメリカのクラブとも交流していたなんて、ずいぶんと活発で国際的だったんだなと驚かされました。我々も、それに負けないようなクラブにしないと発奮したのを憶えています。

手元に、クラブの会報誌『R&B』の創刊号があります。JAPAN ROLLS-ROYCE&BENTLEY CLUB BULLETIN ISSUE NO.1 WINTER 1997とあります。たしか、この準備のための創刊0号も出していたはずです。巻頭の挨拶文には、以下のように私は書いています。

最近、バブル時期に投資や税金対策のために買われたクラシックのロールスロイス/ベントレーの情報がよく入ってきます。現在の相場よりずっと高く買われたその車を見に行くと、多くは会社の所有で、手入れする人もなくガレージにそのまま眠っていることが多いのです。もともと好きで始めた『くるま道楽』ですが、商売を離れてエンスージアストとしても何とも惜しい光景で、救い出してやりたいなとは思うのですが、こちらの資力もそうそう及ばず、そのままになってしまうことが少なくありません

まだまだバブルの残滓があった時代でした。

「日本に行ったクラシックカーは行方不明になってしまう」と外国の業者から言われたことを思い出します。言葉の壁もあるでしょうが、本当に好きな人の手に渡っていれば、車の行き先も同好の士のつながりで捕捉でき、インターナショナルなネットワークもできると思います。日本でロールスロイス/ベントレーのクラブ発足を考えたのは、車の情報ネットワークをつくりたいとの思いもあってのことでした。眠っているロールスロイス/ベントレーの情報を皆さまに紹介し、お好きな人の手に渡るならこれに勝る喜びはありません。今後、そうした車の情報なども積極的に掲載していきたいと思います

今でこそ、ありがたいことに “ロールスロイスとベントレーのワクイミュージアム” という認知をいただいていますが、この頃はまだまだでした。ここに書いている通り、国内に眠っているクルマを探し、こちらからアプローチして探し出していっていました。そして、「日本に行ったクラシックカーは行方不明になってしまう」というくだりです。これは、この連載でも以前に書いていますが、外国の業者に言われたことが、よほど頭に来ていたのでしょう。我ながら執念深さに苦笑してしまいます。

特に古いロールスロイス/ベントレーはオーナーが「一時預かり人」としての責任を負うべきものと、英米のクラブ会員やクラシックカーファンは当然のように考えているようです。RRECの会報を眺めていても、車も含めて、古いものを大切にするということでは、日本人以上に強い気持ちが感じられます。このクラブでも、ロールスロイス/ベントレーの機械的、工芸品的な価値を掘り下げ、大切にする気持ちを唯一の共通の認識として、自由で楽しい交流のできる会にしたいと思います

このように会報誌創刊号の巻頭挨拶を締めくくっています。この「一時預かり人」という言葉と考え方を、この時から記していたことに安心しました。今でも、その考え方に間違いがなく、賛同して下さる方々も増えてきているからです。自信を深めることができました。

クラブの発足時の会員数は50人弱であることも、この会報誌創刊号に書いてありました。会員のみなさんとともにクラブを立ち上げたことを懐かしく思い出すとともに、その方針を維持して今後とも時代に沿った活動を続けていくとが求められるでしょう。そのためにも、初心を忘れずにお客さんやクラブメンバーとのコミュニケーションが欠かせませんね。今後とも、よろしくお願いいたします。

(構成:金子浩久)

(第12回 了)

 

 

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