涌井清春ヒストリー
「私の半生」

第5回

支えてくれたイギリスのパートナーたち

8月に出掛けたペブルビーチ・コンクールデレガンスの余韻に、まだ浸っています。

この連載の第一回にも書きましたが、今年に入ってワクイミュージアムの経営から退き、館長としての仕事に専念することにしました。もう少し広い視野と長いスパンでミュージアムのことを考えるようにしてきたつもりです。とは言っても、長年続けてきた仕事ですから、ついつい雑事に口を挟むようなことを繰り返してしまい、以前と何も変わっていないじゃないかと自責の念に駆られてもいました。
 「ペブルビーチに行けば、少しは吹っ切れるんじゃないか」
  そんな淡い期待も抱いていましたが、素晴らしいクルマと素晴らしいイベントを眼の当たりにしていたら、 “あれもやりたい、こうしたらどうだろうか” と、吹っ切れるどころか、やりたいことが次から次に沸き起こってきてしまいました。

ペブルビーチについては、当ホームーページでリポートを次々とアップしていますので、ぜひ、そちらを読んでみて下さい。

ペブルビーチには、イギリスからブライアン・ハウザムさんが夫妻で駆け付けてくれました。ワクイミュージアムを支えてくれる、イギリス在住のビジネスパートナーです。

コンクールデレガンスに出展したゲイルン製ボディの3リッター・ベントレーも、彼が当時、スウェーデンまで出掛けて買ってきてくれたものでした。

ペブルビーチには奥さんの淳子さんも一緒に来てくれました。彼女は日本人で、彼の仕事をサポートしています。

ブライアンとの付き合いはもう25年以上にもなります。当時、私はクラシック・ロールスロイスとベントレーの仕入れ先をイギリスで探していました。現在はワクイミュージアムの提携先となっているフランク・デイルともまだ交渉中でした。

それと前後した頃に、ブライアンと知り合ったのです。彼も「オールド・イングリッシュクラシック」という屋号で、クラシックカーの販売を行なっていました。

その店の広告を、私は定期購読しているイギリスのクラシックカー雑誌で見たのが最初の出会いです。
 「日本語通じます」
  広告にはそう書いてあったので、安心して問い合わせたのを良く憶えています。

淳子さんが日本人だということと、もともとブライアンのお父さんが農機具の販売業を営んでいて、北海道にもずいぶん売っていたことで日本とは縁の深い人だということは後からわかりました。

これも後からわかったことですけれども、彼はクルマに対する愛情が非常に深くて、その対象はクラシックカーはもちろんのこと、現代のクルマにも変わらず注がれていました。特に、レーシングカーに眼がなかったのは彼自身がレーシングドライバーだったからです。

1980年代の中頃には、イギリスF3であのナイジェル・マンセルと競っていたというから、まさにプロフェッショナルです。
 「僕だって、マンセルのように性格が意地悪だったら、イギリスF3チャンピオンになれたんです」
  冗談半分にそう嘆いていましたが、彼のマジメでお人好しなキャラクターを良く表現していると思いました。

日本のお客様のリクエストでクルマを探してもらったり、反対に彼から「こういう出物がありましたよ」と提案されて調べてもらうこともあります。

あるいは、「イギリスのどこそこの誰々さんがこのクルマを持っているはずだから、コンタクトを取って、交渉してみてくれないか」と依頼することもあります。前回の白洲次郎が乗っていたベントレー・3リッターを手に入れた時もこのパターンでした。

オーナーは渋っていましたが、ブライアンがBDC(ベントレー・ドライバーズクラブ)の会員であり、クラシック・ベントレーについて確固とした見識と経験を持っていることで信頼を得ました。あのクルマが日本にとっていかに重要で意義深い存在なのかを何度も通って丁寧に説明してくれたおかげで譲ってもらえることができたのです。

交渉ごとですから、相手の言うことをただハイハイと聞いているだけではダメです。オールドマザー・ガンを入手する時も、スタンレー・マンと丁々発止やりあってくれました。

毎回の仕事のかたちはさまざまですが、 “見に行って、判断して、報告。そして、交渉” という大まかな流れは変わりません。どのプロセスも的確で、マジメな仕事ぶりに私は彼に全面的に信頼を寄せるようになりました。以来、長い付き合いが続いています。

あるクラシック・ロールスロイスを彼に交渉してもらって購入した時の話です。交渉の結果、10万ポンドで決まりました。私は妥当な値段だと思ったので、それで購入してもらうよう指示しました。最終的に、彼は持ち主に5000ポンド値引かせて、9万5000ポンドで契約成立となりました。

私が10万ポンドで納得したので彼が無理して相手に値引かせる必要はなかったのですが、その時の状況を彼は「値引ける」と判断して、私のために交渉してくれました。その分のボーナスを私に求めることはありませんでしたし、契約で取り決めた定額の手数料しか請求して来ませんでした。それは特別なことではなく、ビジネスパートナーである私のためとなることならば指示されなくても率先して動いてくれています。

ですから、私は彼に全幅の信頼を置いていて、購入資金を事前に振り込むようなことにも躊躇することはありません。何かの拍子にそれを聞いた同業者からは「よく信頼できますね」と驚かれたりしますが、私にとっては当然のことなのです。

ブライアンとは別に、第3回でも少し触れましたが私はフランク・デイルという業者とも取り引きがあります。当ホームページにも、ワクイミュージアムが日本での彼らの窓口になっていて、彼らの在庫車を掲載しています。クラシック・ロールスロイスとベントレーを扱う、本場イギリスの老舗です。先代の社長とマネージャーの頃から取り引きしています。

今回、ペブルビーチにも後継ぎの社長さんが来ていました。さすがは老舗です。世界中から集結した、居並ぶ逸品揃いのクラシック・ベントレーを端から指さしながら「それも、これも、あっちも、みんなウチが以前に売ったことのあるクルマだよ」と教えられました。

彼や先代社長とマネージャーたちにも、私は全面的な信頼を置いています。嫌な思いをさせられたり、モメたことがありません。非常に誠実な姿勢で仕事に取り組んでくれることがこちらに伝わってくるので、長く付き合っています。

ブライアンにしてもフランク・デイルにしても、私はイギリスのビジネスパートナーに恵まれました。両者と付き合っていなければ、ワクイミュージアムの今日の姿はなかったでしょう。

両者は紳士なのであまり語りませんが、以前は日本の業者の中には不誠実でヒドいブローカーなどがいたようです。

第1回で書いた、私が創業期に欧米の業者から「日本にはクラシックカーの文化が存在していないから、クラシックカーを売りたくない」と断られた理由は、実は半分だけしか表していません。

もう半分は、欧米の業者たちが「日本からの業者にヒドい目に遭わされたことがあるから」というものです。それほど、昔の日本のブローカーは約束を守らず、いい加減な輩が多かったのです。

我田引水となってしまいますが、そうした苦情を耳にする度に私は絶対に自分はそうはならないと誓い、実行してきました。ブライアンとフランク・デイルは冷静に私のことを見てくれていたのでしょう。その結果、ずっと付き合ってくれました。とても感謝しています。久しぶりに彼らにペブルビーチで会えたのも、神様からのお恵みだったのかもしれません。(構成:金子浩久)

(構成:金子浩久)

(第5回 了)

 

 

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