ロールスロイス&ベントレーの歴史

Post War:第二次大戦後篇

チャプター23「“R”の栄光の完全復活」

ロールスロイス&ベントレーの歴史
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1991年3月のジュネーヴ・ショーで、’92年モデルとしてデビューした“コンティネンタルR”は、ベントレーS3コンティネンタル以来久々のベントレー専売モデルとなったモデル。そのネーミングでも示唆しているとおり、1952年から製作されR-R傘下のベントレーでも最高傑作といわれる名車、Rタイプ・コンティネンタルの精神を、’90年代の最新テクノロジーで再現した超高級パーソナルカーである。ターボRのプラットフォームを流用して極めて贅沢にしてエレガントな2ドアクーペボディを架装、魅力溢れるクーペとなった。

“ネパール”という社内コードネームとともに開発されたこのクーペは、ベントレーの’90年代を代表するような最高のスポーツクーペとして計画され、かつてのロールス・ロイス・カマルグのように進歩的かつ急進的なデザインが意図されていた。流麗極まるボディのデザインは、アストンマーティン“ヴィラージュ”でその実力を認められた新進気鋭のスタイリスト、ジョン・ヘファーナンと、同じく英国出身の若手ケン・グリーンレイが共同で手掛け、1985年のジュネーヴ・ショーに参考出品されたプロトタイプ“プロジェクト90”をベースとしたもの。これを“たたき台”にして、ロールス・ロイス社内のデザイン部門所属のスタイリスト、グレアム・ハルとの協力でアップ・トゥ・デートされたと言われている。そのデザインワークは従来のロールス・ロイス/ベントレーの伝統を覆して、CADなどの最新技術を駆使して最新のボディラインが構築された。そして、実用性を損なうことなく最良のエアロダイナミックスを実現すべく、ウィンドスクリーンの傾斜をはじめとする細かいディテールに至るまで、すべて入念な風洞実験を経て決定されたという。

しかし、コンティネンタルR誕生の裏側には、当時のロールス・ロイス社の“お家事情”も深く影を落としていたようだ。コンティネンタルRの正式デリバリー開始とほぼ時を同じくした1992年2月、それまでロンドン北郊のウィルズデンにあったマリナー・パークウォード(旧パークウォード社工房)は、ロールス・ロイス社本体の経営悪化と高額なコーチビルドモデルに対する顧客からのオーダーの激減から、ついに閉鎖を余儀なくされることになった。そして年配の熟練工の多くが、ロンドン市内から遥かに離れたロールス・ロイス社クルー工場内に移転された新生マリナー・パークウォードへの転居を拒んだために、依然として手づくりの工程が大部分を占めていた旧来のコーニッシュ/コンティネンタルについては、もはやその生産の継続が不可能と判断されてしまったのだ。つまり、旧コーニッシュ系に負けず複雑なデザインを与えられながらも、もとよりCADを活用して効率的に設計されていたコンティネンタルRならば、クルーに移動したわずかな熟練工の指導のもとに、通常のアセンブリーラインで製作できる、という目算に基づいていたのである。

そのパワーユニットは、V8OHV・6747ccユニットにギャレット・エアリサーチ社製TO4B型ターボチャージャーを装着する。つまり、ターボR/RLと共通のものである。その出力はR-R/ベントレーの伝統で未公表ながら、インタークーラーの追加によって389Hpに達していたという。このパワーは2.4トンにも達する超ヘビー級ボディにも充分以上のもので、その高性能は折り紙つきであった。トランスミッションは、このコンティネンタルRで初採用された4速のGM700型オートマティックが組み合わされ、セレクターもスポーツモデルに相応しく、ベントレーのAT車としては初めてフロアに置かれることになった。

こうして誕生したコンティネンタルRは、2002年頃までに1533台が生産されることになった。また、コンティネンタルRのシャーシーをベースに、このあと詳しく述べるコンティネンタルT用のハイスペックエンジンとワイドボディを組み合わせたスペシャル、コンティネンタルRマリナーも、1999年から2002年の間に46台のみ限定生産されている。

一方、1996年にベントレーの新たなトップモデルとしてデビューした“コンティネンタルT”は、「サイレント・スポーツカー」を自ら標榜したダービー・ベントレーや第二次大戦後のRタイプ・コンティネンタルの再来を目指したコンティネンタルRに対し、ヴィンテージ期の“ブロワー・ベントレー”の再来という表現が最も相応しいリアルスポーツ。コンティネンタルRのホイールベースを100mm短縮、サスペンションにも徹底的なチューンを加えて、巨大なサイズからは想像もできない素晴らしいフットワークを実現していた。

そのパワーユニットは、旧来のV8OHV・6747ccユニットにギャレット・エアリサーチ社製TO4B型ターボを装着。さらに、コスワースがターボF1時代に築いたターボテクノロジーを生かしたエンジンマネージメントシステム“ザイテック”を採用する。初期モデルで404Hp、’99年デビューの後期モデルでは実に426Hpに達したというパワーもさることながら、トルクは実に90kgm近いという途方もないもので、2.5トンにも達する重戦車のようなボディを、最高速273km/h(後期型)という猛烈な速さで走らせる。まさに英国製超高級スーパースポーツならではの「高貴なるバーバリアン」と言うべきモデルだった。

当然のことながら、2002年に生産を終えるまでの生産台数は極めて少なく、前/後期を合わせても322台に留まる。またサスペンションをさらに締め上げる一方、よりゴージャスな仕立てとされた限定車“コンティネンタルTマリナー”が1999年に23台、2001年に“EXPスピード8”を擁して71年ぶりにル・マン24時間耐久レースに復帰したことを記念した限定車“コンティネンタルTル・マン”が5台のみ製作されている。

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ところで、コンティネンタルRの発売から2年後の1994年ジュネーヴ・ショーには、コスワースの開発した3.5Lの4カムV8ツインターボを搭載する、コンティネンタルR/Tよりも一回り小さなコンヴァーティブル、“コンセプト・ジャヴァ”が出品された。しかし、それは結局シリーズ生産に至ることなく終わり、その代わりという訳ではないかも知れないが、翌’95年には、コンティネンタルRをベースとするドロップヘッドクーペ、“アズール”が正式デビューすることになった。そして、旧き良きコーニッシュ系のコンティネンタルに替わるドロップヘッドクーペとして誕生したアズールは、20世紀末の「地球上で最も贅沢な乗り物の一つ」とまで呼ばれることになったのだ。アズール(Azure)の名は、南仏の海岸「Cote d’Azur(コート・ダジュール)」から採ったもので、かつてのコーニッシュやカマルグに続いて、南仏のリゾートの地名からネーミングされることになった。グラマラスでエレガント極まりないコンヴァーティブル・ボディは、ルーフが取り除かれたことを除けば基本的にコンティネンタルRと共通のものだが、ソフトトップ回り、ボディの補強などの作業は伝統的にロールス・ロイス社と関係が深く、この種のコーチワーク作業については経験豊富なイタリアの名門カロッツェリア・ピニンファリーナに委ねられた。

コンティネンタルRと共用のパワーユニットは、V8OHV・6747ccユニットにギャレット・エアリサーチ社製TO4B型ターボチャージャーを装着する。パワースペックはこのモデルの誕生直後まで維持されていたロールス・ロイス/ベントレーの伝統に従って未公表ながら、2トン半以上にも達する超ヘビー級オープンボディを過不足ない速さで走らせるには充分なもの。変速機はコンティネンタルRの発売に際して初採用された前進4速のGM700型オートマティック・トランスミッションが組み合わされた。

アズールの生産は1996年から2003年まで行われ、限定製作された各種スペシャルエディションまで入れた総生産台数は、1321台に上ったと記録されている。また1998年秋のパリ・サロンにて、コンティネンタルTのルーフ前半をデタッチャブル化して、クラシカルな“セダンカ”スタイルとした“コンティネンタルSC”も発表。2000年までにわずか79台が限定で製作されたとの記録が残されているのである。

(第23章 了)

(監修:涌井 清春  資料提供:高山 ゆたか  編集:武田 公実)

 

 

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