ロールスロイス&ベントレーの歴史

Post War:第二次大戦後篇

チャプター18「ファンタムⅤとⅥ」

ファンタムⅣを世に送り出したことで、旧来の伝統がまだ健在であることを示したロールス・ロイスだが、第二次世界大戦後の民主化が進んだご時世に於いては、専用のパワーユニットを搭載する特製シャーシーに架装した超高級サルーンやリムジーンを、王侯貴族などごく少数の特別な顧客のために手づくりするという旧来のファンタムの手法は、もはや不可能とまでは言わないが、時代遅れなものとなりつつあった。そこで1959年にデビューした“ファンタムV”は、あくまで「ファンタム」のネーミングを与えられてはいるものの、実質的にはその直前まで製作されていたシルヴァー・レイスの系譜を受け継ぐモデルとなっていた。

このような事情のもとに誕生したファンタムⅤは、実質的には時を同じくしてデビューしたベーシックモデル、シルヴァー・クラウドⅡのホイールベースとトレッドを延長した拡大バージョンとも言える。つまり、これもシルヴァー・ドーンとシルヴァー・レイスの関係と同じである。シルヴァー・クラウド系と同様に極めてコンヴェンショナルなラダータイプのセパレートフレームを備え、サスペンションは前ウィッシュボーン/コイルの独立だが、後ろは半楕円リーフスプリングに吊られたライヴアクスル。そしてブレーキについては、後継たるファンタムⅥの終焉まで後輪にイスパノ・スイザ式車速反応型サーボシステムを持つ4輪ドラムがキャリーオーバーされ続けた。また、豪奢な(=巨大な)リムジーンやランドレーに代表されるコーチビルドボディの架装を見越して、ホイールベースはLWB版のシルヴァー・クラウド/Sタイプよりもさらに45cm以上も長い145.5インチ(約3.7m)まで延長。トレッドは前1546mm/後1626mmと、これもシルヴァー・クラウド系(前1473mm/後1524mm)から、それぞれ6cmほど拡大されていた。

他方、パワーユニットについても同じくシルヴァー・クラウドⅡ/S2用に新設計された、総アルミ製V8OHV・6230ccを搭載している。また、トランスミッションもクラウドⅡ系と共通のハイドラマティック4速ATだが、シャーシーの拡大とゴージャスなボディの架装で格段に重くなってしまうであろうウェイトに対応して、ファイナルギア比はクラウドⅡ/S2用の3.08から3.88へとローギアード化された。これにより、マキシマムスピードはクラウドⅡの約185km/hから約163km/hまで下降したが、それでもSS1/4マイルで19.4秒の加速性能とともに、発表当時の常識では充分に実用に足り得る性能を発揮していた。

ファンタムⅤには、基本的に7座のパークウォード製リムジーンがスタンダードボディとして組み合わせられた。このボディは195台が製作されたが、そのほかにも名門コーチビルダーの競作による贅を凝らしたコーチビルドボディが架装されている。例えば、H.J.マリナーは同社自慢の4ドアクーペ、“フライング・スパー”をモチーフにしたような一品製作のトゥーリング・リムジーンを筆頭に9台を製作したほか、1961年にパークウォードと合併したのちには、“マリナー・パークウォード”名義で112台を生産している。しかし、そんな「特別なファンタムⅤ」の中でも注目すべきは、1908年にそれまでの馬車用コーチの製作から自動車ボディの分野に進出した名門、“ジェームズ・ヤング”社が製作した一連のスペシャルボディだろう。ワン・オフ車両を除いて“PV10”、“PV15”、“PV16”、“PV22”、そして“PV23”の5モデル、さらには各モデルとも運転席上のトップが脱着可能な、いわゆる“セダンカ・ド・ヴィル”に仕立てることも可能で、それらをすべて合算すれば、ロールス・ロイス社の実質的な“ハウス・コーチビルダー”たるパークウォードを上回る、196台にも達したのだ。特に、トゥーリング・リムジーン“PV23”とそのセダンカ版は、「戦後のロールス・ロイスの中で最もエレガントなボディ」と評されている。また、同じく名門として知られる“フーパー”も一台のみだが担当している。この史実からもわかるように、ファンタムⅤでも往年のロールス・ロイスの伝統は、確かに護られていたのである。

これらのコーチビルドボディは、戦前以来のコーチワークボディの伝統にのっとり、すべて手叩きのアルミパネルによるハンドメイド。インテリアに施された儀装も、ベーシックモデル(あくまでR-Rのレベルに於いてだが)たるシルヴァー・クラウドのそれを数段も上回る素晴らしいものである。また、これも戦前以来の伝統に従って注文主の細かいオーダーに応えて手づくりするので、厳密にはまったく同じ車は一台として存在しないとされた。

例えば、長い伝統を破って1950年代初頭に二台のファンタムⅣを購入したのちロールス・ロイスのユーザーとなっていたイギリス王室も、1960年に“キャンベラⅡ”そして1961年に“キャンベラⅠ(なぜか順序が逆?)”と呼ばれる、二台のR-RファンタムⅤパークウォード製リムジーンを導入しているのだが、この二台はともにルーフを5インチも高められるなどの大規模なモディファイが施されていたのだ。一方、日本の宮内庁も昭和36年(1961年)に国賓用の貴賓車として一台のファンタムⅤパークウォード製リムジーンを導入しているが、こちらのファンタムⅤはスタンダードのカクテルキャビネットの代わりに、侍従や通訳などが着席するための、後ろ向きの補助シートが設けられていたという。ファンタムⅣ以前のような専用シャーシー&専用エンジンでこそないものの、これらの、いかにもロールス・ロイスらしい細やかな気遣いがなされていたのは、ファンタムⅤ以降のモデルにも同社の伝統と美風が確かに息づいていたことの確たる証と言えるだろう。

ロールスロイス&ベントレーの歴史
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1962年、ベース車となるシルヴァー・クラウドがⅢ型に進化したのにともない、ファンタムⅤにも同様のデュアルヘッドライト化が施されることになった。そして、1958-68年までの10年間に合計516台が製作されたのち、1968年のロンドン・ショーを契機に、“ファンタムⅥ”へと進化を遂げることになる。とはいえ、その基本設計はファンタムⅥになっても概ね変わってはいなかった。パワーユニットは、伝統の総軽合金製V8OHV。そのキャパシティはファンタムⅤおよび1970年までのシルヴァー・シャドウ系と同じ6230ccで、ギアボックスは自社製の旧式なハイドラマティック4速ATが組み合わされていた。ただし、V8ユニットのヘッドがシルヴァー・シャドウと同系のものへと設計変更されたことで、リア・コンパートメントだけでなく運転席側にもクーラーの吹出し口が取り付けられていた。

ボディについては、ファンタムⅤ時代の1961年にH.J.マリナーとパークウォードが合併したことで成立した“マリナー・パークウォード”社の熟練工が入念に架装する、全長6m超級の巨大な4ドア7座リムジーンが原則的にはスタンダードとされたものの、“スペシャル”と言うべき伝統的なカスタムボディの注文にも、決して応じていなかったわけではない。とはいえ、それはスタンダードボディの範囲内から大きくは出ない、例えば後部座席をオープン化した“ステーツランドレー”のような特装車がほとんどで、ファンタムⅤ時代の名作、ジェームズ・ヤング製PV23トゥーリング・リムジーンのような、コーチビルダー独自のデザインによるスペシャルボディが架装される例は、もはや皆無に等しい状況にまでなっていたのである。ロールス・ロイス・ファンタムⅥは、1968年から最終的には1990年までの22年間で374台が製作されたとされるが、そのうち366台がマリナー・パークウォード製のスタンダード・リムジーンといわれている。このほかのスペシャルボディとしては、マセラティの初代クアトロポルテやルノー・カラヴェルなどのデザインで有名なイタリアのスタイリスト、ピエトロ・フルアのデザインによる2ドアと4ドアのドロップヘッドクーペが、1971年にそれぞれ一台ずつのみ製作されたのが有名なところだろう。

こののちファンタムⅥは、1976年からロールス・ロイス社のレギュラー商品ラインナップからは外され、「特別な顧客からの受注生産」のみの体制とされることになった。そして、1978年秋からはシルヴァー・シャドウⅡと共通の6747ccエンジン+GM400“ターボハイドラマティック”型3速ATに換装されたが、車名についての変更はなく、引き続き“ファンタムⅥ”を名乗り続けた。その後も大きな変更はなく、結局1989-90年に英国王室の求めに応じて製作された2台を最後に、公式にはその生産を終えることになったのである。しかし、’92年秋をもってマリナー・パークウォードのウィルズデン工場が閉鎖(ロールス・ロイスのクルー本社工場内に移転)されるにあたって、同工場内に残されていた一台分のコンポーネンツをアセンブルした“最後のファンタムⅥ”が製作されたと言われている。

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(第18章 了)

(監修:涌井 清春  資料提供:高山 ゆたか  編集:武田 公実)

 

 

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