ロールスロイス&ベントレーの歴史

Post War:第二次大戦後篇

チャプター14「戦後ロールス・ロイスの復興」

出世した“ベイビー・ロールス”

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第二次世界大戦中にナチス・ドイツから受けた空襲によって失われたダービー旧工場に代わって、戦後はロールス・ロイス社自動車部門の本拠となったクルー新工場から送り出される最初の生産型ロールス・ロイスとして、“シルヴァー・レイス”は、1946年4月に暫定デビューを果たした。6年にも及ぶ世界大戦とその後の過大なインフレーションによって経済が疲弊しきっていた当時のヨーロッパでは、戦前までロールス・ロイスのトップを占めていたフルサイズ40/50HP(=ファンタム・シリーズ)を求める特権階級のカスタマーがほとんどいなくなってしまったことから、ファンタムは1950年の復活まで一時的に消滅。戦前までは同社のロワーレンジを占めていた25/30HP系から発展したシルヴァー・レイスが、戦後ロールス・ロイスのトップグレードの座に登りつめることになったのである。

「戦後モデル」と称しつつも、実質的には旧態依然とした戦前モデルの“焼き直し”が多かった当時の自動車業界の状況に反して、シルヴァー・レイスは、戦時中にE.W.ヒーヴス卿の率いるロールス・ロイス技術陣が密かに継続していた研究開発、そして10台にも及ぶテストカーを使用したロードテストの成果をふんだんに盛り込んだことで、「幻の傑作」と称された戦前型“レイス”からは長足の進化を遂げたモデルとなっていた。まずパワーユニットについては、ベントレー・マークⅥ用と共通となるシリンダーヘッド&ブロック一体型の直列6気筒。25/30HPおよびレイス時代のOHVからFヘッド(吸気側OHV/排気側サイドバルブ)に変更されている。燃料供給は、一基のストロンバーグ製キャブレターによって賄われる。この新型ユニットはまったくの新設計であるにもかかわらず、スペック的には一見後退したようにも見えるが、結果として実質的な性能は格段に向上していた。エンジンの諸元はロールス・ロイスの長年の伝統に従って未公表であったが、初期型の41/4リッター版をテストした当時の専門誌によると、ベンチテストの状態で約137Hp、シャーシーに搭載して消音器を装着した状態では122Hpをマークしたとされている。

シルヴァー・レイスではこの新型Fヘッド・ユニットを、キャビンを前進させて乗員スペースの拡大を図るために車体の前端に搭載している。これは、重量物をできるだけホイールベース内に配置し、前後の重量配分を均等化するように努める現代的なレイアウトとは、まったく正反対の発想。1930年代初頭のアメリカ車に端を発する当時の自動車構造学では、バネ上重量を車両の前後端に分配することで振動系を延長、個有振動を大きくして対ピッチング抗力を拡大することで、結果としてソフトなスプリングを使用してもフラットな乗り心地が損なわれないと考えられていたのだ。このような思想のもとに設計されたシルヴァー・レイスのシャーシーは、戦前型のレイスの基本レイアウトは踏襲するものの、当時最新のテクノロジーに則り抜本的に改良されていた。ホイールベースはレイス時代の136インチから、ロング版でも3インチ短縮。さらに127インチのショートホイールベース版も用意されたが、それでも戦前型レイスに比べれば、キャビン内の乗員スペースは充分に向上していた。一方サスペンションについては、先んじてリリースされたベントレー・マークⅥと同じく、新世代型の前ダブルウィッシュボーン/後リーフ・リジッドとされた。

メーカー自製のスティール製標準ボディとともに生産されたベントレー・マークⅥ(’49年からは後述のR-Rシルヴァー・ドーンも追加)とは一線を画し、シルヴァー・レイスは戦前以来のロールス・ロイスの伝統に従って、ローリングシャーシー状態のみでの販売とされた。ボディはもちろん、第二次世界大戦後も存続していたコーチビルダーたちの競作である。戦前にロールス・ロイス社の傘下に収まっていたパークウォードはもちろん、H.J.マリナー、フーパー、ジェイムズ・ヤング、フリーストーン&ウェッブなどの老舗コーチビルダーたちにとっても、戦後初のロールス・ロイス新型車は待望の題材となり、いかにもロールス・ロイスらしい風格溢れるボディからスポーティで先鋭的なボディに至るまで、様々なデザインが百花繚乱のごとく咲き乱れるのだ。ちなみに日本の皇室が昭和32年(1957年)に購入したシルヴァー・レイスは、フーパー製の古風な7座リムジーン。また在日英国大使館が所有していた’52年型シルヴァー・レイスは、これもクラシカルな7座リムジーン・ボディを持っていたが、こちらのコーチビルダーはH.J.マリナーであった。

こうして誕生したシルヴァー・レイスは、1959年にファンタムVにあとを譲って生産を終えるまでの12年間に、様々なモディファイを受けることになった。まずFヘッド6気筒ユニットは、1951年以降にはボアを92.0mmにアップした4566cc、および1955年以降はさらに95.25mmにボアアップした4887ccと、二度にわたる排気量アップを受けている。加えて圧縮比も41/4リッター時代当初の6.4:1から、6.6:1、6.75:1と次第に高められ、4.9リッターの’57-59年モデルでは8.0:1までアップ。この最終型シルヴァー・レイスのエンジンは、排気量アップとSUツインにグレードアップされた気化器の効力も相まって、そのマキシマムパワー(もちろん未公表)は180Hp以上にまで到達していたと言われている。

一方トランスミッションについては、デビュー当時は車体右端にシフトレバーを持つ4速マニュアル(2速以上はシンクロ付き)のみだったが、4.5L版に進化した翌年の1952年からは、コラムシフトの4速オートマティックもオプションで装着可能となった。このオートマティックは、フルイドカップリングと遊星ギアを組み合わせた、現代の目では極めて原始的なタイプ。北米ゼネラルモーターズ社製“ハイドラマティック”の特許と自社生産ライセンスを購入し、R-R伝統のイスパノ・スイザ式メカニカルサーボを駆動する出力を取り出すためにキャスティングの外部に分配装置を取り付けるなどのモディファイを行った上で、クルー工場にて自社製作するものである。R-R技術責任者のロボサムは、まだヒーヴスの下で働いていた時期である戦前からハイドラマティックに注目しており、彼の推挙でGMからライセンスを購入したのは1946年のこと。その後6年もの研究期間を経て生産化に至ったのは、いかにも慎重派のロールス・ロイスらしいと言えるだろう。また、4.9リッター版からはパワーステアリングもオプションにて選択できるようになった。

暫定デビューから約1年後となる、1947年2月から正式生産が開始されたシルヴァー・レイスは、’59年8月に最後の一台が製作されるまでの12年半に、ショートホイールベース版が1144台、ロング版が639台の、合計1783台が製作された。これは、第二次大戦後に生産されたコーチビルドR-Rとしては、今なお破られていない記録的数値なのである。

R-R初のスタンダード・サルーン

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1949年にカナダ・トロントにて開催された万国博覧会に於いて、のちのロールス・ロイスの方向性を示すことになるモデルのワールドプレミアが行われた。21世紀のシルヴァー・セラフに至るR-Rのベーシックモデル(もちろん極めて高価であることに違いはないが…)、スタンダード・スティール・サルーンの始祖となった“シルヴァー・ドーン”である。とはいえ、シルヴァー・ドーンはまったくの新規開発モデルというわけではなく、逸早くスタンダード・スティールボディを設定していたベントレーの戦後型“マークⅥ”のエンジンを、シルヴァー・レイスと同じシングル・キャブレターにデチューン。そしてR-Rのシンボル、パルテノン神殿型のラジエーターグリルと、“スピリット・オブ・エクスタシー”のマスコットを組み合わせたモデルである。また、1949年の時点でベントレーには用意されていなかったLHD(左ハンドル)仕様が生産の主体とされることとなっていた。

その4ドアサルーン・ボディは、ベントレー・マークⅥと事実上共通のもの。旧来のロールス・ロイスがすべてアルミで架装された伝統的なコーチワークボディを与えられていたのに対し、ベントレー・マークⅥと同じプレスド・スティール社から供給されるプレス鋼板製パネルを利用した総スティール製とされていた。また、実例はベントレー・マークⅥ以上に少数ではあったものの、スタンダードボディでは満足できない顧客の要望によってはローリングシャーシー状態での購入も依然として可能とされており、名門コーチビルダーによるアルミ製コーチビルドボディを架装した個体も製作されることになった。

パワーユニットは、先にデビューしたシルヴァー・レイス用と同じ4257ccの直列6気筒Fヘッド(吸気OHV/排気SV)が搭載される。このエンジンは、姉妹車たるベントレー・マークⅥとも基本的には共通のものだが、キャブレターをマークⅥのSUツインからストロンバーグ社製のシングルにするなどのデチューンを施していた。このデチューンには、ロールス・ロイスに相応しいジェントルなフィールを得るためという目的のほかに、北米大陸全体に点在する地方ディーラーの工場でもメンテナンス/リペアが容易に行えるようにするという、かなり切実な目的も含まれていたという。トランスミッションは、2速以上にシンクロの付く4速マニュアルだが、これも北米での流行に合わせてコラムシフト化されていた。このように、シルヴァー・ドーンはデビュー当初から事実上の輸出専用(ほとんどが北米市場向け)モデルとされており、デビューから数ヵ月後の’49年6月にはRHD(右ハンドル)仕様も初めて製作されたとされるが、それはイギリスと同じく左側通行を採るオーストリア大陸への輸出用であった。しかし、その生産期間が終わりを告げようとしていた1953年秋になって、ようやく英国内でも発売されることになったのだ。

1951年にはシルヴァー・レイス/ベントレー・マークⅥと同様に、エンジンが4.5リッターに拡大された。さらに翌’52年にはベントレーRタイプと同じくテールを延長、トランクスペースが拡大されることになった。また、テールの意匠変更とほぼ時を同じくして、姉貴分のシルヴァー・レイスと同じくGM“ハイドラマティック”式オートマティックトランスミッションも、まずは北米向きLHD仕様から選択可能となったが、ベントレー・ブランドの姉妹車のようにモデル名の変更(マークⅥ→Rタイプ)が行われることはなく、’55年に後継のシルヴァー・クラウドにあとを譲るまで、シルヴァー・ドーンのネーミングにて呼ばれ続けるに至ったのである。その総生産台数は、生産期間の短さもあってベントレーの姉妹車よりも遥かに少ないものに終わってしまい、前期型/後期型を合わせて761台。その内64台がコーチビルドボディであったという記録が残っている。

(第14章 了)

(監修:涌井 清春  資料提供:高山 ゆたか  編集:武田 公実)

 

 

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