ロールスロイス&ベントレーの歴史

Post War:第二次大戦後篇

序章「The Best Car in the Worldの興亡」

「20世紀最大の悲劇」と呼ばれる第二次世界大戦、そしてその後に待ち受けていた急速な経済後退が、ヨーロッパの旧体制から奪い去っていったものは、決して少なくなかった。かつて社会の頂点に君臨して、支配的な地位と富を謳歌していたヨーロッパの貴族階級やブルジョワジーたちは、その勢力と経済基盤を大幅に損なわれることになったのだ。

一方、彼ら一握りの富裕層を購買対象としていた老舗の超高級車メーカーたちも、その潮流に抗うことなどできなかった。例えば、アルファロメオやパナール・ルヴァッソールのごとく、大衆にも手の届くクラスのモデルをマス・プロダクションで生産する大規模量産メーカーへと苦渋の変節を強いられるか、さもなければイスパノ・スイザやドラージュ/ドライエ、イソッタ・フラスキーニ、パッカード、そしてブガッティのごとく、乗用車生産からの撤退ないしは倒産という最悪の選択を余儀なくされてしまったのだ。そのシビアな状況は、1904年の創業以来約40年以上もの長きにわたって“The Best Car in the World”の名をほしいままにしてきた名門ロールス・ロイス、そして1931年からR-Rのパートナーとなったベントレーとて同じことであった。しかし、彼らはそんな困難な状況にあっても、あくまで開祖ヘンリー・ロイスが開拓した自動車づくりのフィロソフィーと方法論にこだわり続け、時代と事情の許す限り己が伝統と美風を護り続けたのである。

第二次大戦中のロールス・ロイス社は、ロールス・ロイス/ベントレー両ブランドの乗用車生産をすべて中止し、航空機用エンジンをはじめとする軍需生産に特化していた。大戦が勃発する前年の1938年には、それまで同社の工場の置かれていたダービーシャー州ダービーから西に70kmほど離れたチェシャー州クルーに、軍需に対応するための大規模な新工場を建設。特に、従来のダービー工場がナチス・ドイツ軍の空襲に遭って事実上の壊滅状態になった(戦後に再建され、航空エンジン専用工場に転化された)のちは、クルー新工場がロールス・ロイス/ベントレー両ブランドの車たちの“故郷”とされることになった。

こうして、第二次世界大戦後のロールス・ロイス/ベントレーは、クルー新工場から新たなる価値観の支配する時代の荒波へと、果敢に漕ぎ出すことになったのである。

ロールスロイス&ベントレーの歴史
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(序章 了)

(監修:涌井 清春  資料提供:高山 ゆたか  編集:武田 公実)

 

 

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