1985 Rolls-Royce Camargue

1985 Rolls-Royce Camargue

ご成約済み

Zoom Image 画像をクリックして拡大写真をご覧ください

  • 1985 Rolls-Royce Camargue
  • 1985 Rolls-Royce Camargue
  • 1985 Rolls-Royce Camargue
  • 1985 Rolls-Royce Camargue
  • 1985 Rolls-Royce Camargue

1985 Rolls-Royce Camargue   Information

ピニンファリーナ・デザイン

 年式1985
 メーカー Rolls-Royce
 モデル Camargue
 ボディータイプ 2 Door Sport Saloon
 ボディーカラー Cream/Tan Leather Roof
 内装 Tan Leather
 付加情報 
 

1965年9月にシルバーシャドーが登場した時、長く受け継がれてきたロールス・ロイスの伝統のひとつが幕を閉じた。戦前のロールス・ロイスを語る時に、ボディを架装したのがどのコーチビルダーであるか、ということを忘れてはいけない。戦前のイギリスの高級車メーカーはシャシーの状態で車を販売し、ボディは数多くあったコーチビルダーという専門の工房が架装するのが普通であった。すなわち、当時はすべてのロールス・ロイスがスペシャル・コーチワーク・ボディを持っていたことになる。

このシステムが変化してきたのは戦後のベントレー・マークVIとロールス・ロイス・シルバードーンからで、そうしたモデル以降はメーカー自身でボディを製作、完成車として販売するようになった。シルバーシャドーはV8エンジンとGM製の自動変速機以外はほぼすべてにわたって技術革新を果たしたモデルで、4輪独立懸架とシトロエンが特許を持つセルフレベリング・サスペンションなどで時代をリードした。そのボディもロールス・ロイスとしては初めて、フルモノコック構造をとったのである。ということは、シルバークラウドまで受け継がれてきたセパレートシャシーを持たなくなった、ということでもあった。フルモノコック構造の場合には、1台づつ異なったデザインのボディを作ることは難しい。そこから、馬車の時代以来、高級車用ボディの架装で互いのデザイン・センスや技術を競い合ってきたコーチビルダー達が、その腕を振るう場面を亡くしてしまったことを意味していた。

それでもロールス・ロイスの系列会社となっていたH.J.マリナーとパークウォードは、2ドア・ボディやドロップヘッドのボディバリエーションを用意することで、フォーマルなサルーンとは異なるパーソナルカーを求める人々の期待に応えた。だが、それだけでは満足できない、という少数の人々がいることが、次第に明らかになってきたのである。彼らは、シルバーシャドーとは異なるクラスの車を求めた。かつてのスペシャル・コーチワークの車のように、標準型サルーンとは異なったデザインを持ち、優雅で快適な室内空間を持った車。しかし戦前とは時代が異なっていたのは、彼らが求めていたのがショーファー(専属の運転手)つきのリムジン・ボディではなく、仕事から離れたプライベート・タイムに自ら運転するためのパーソナルカーであったことである。

こうした新しいクラスの人々のために、ロールス・ロイスが1975年に登場させたのがカマルグである。そのV8エンジンや凝ったサスペンションはシルバーシャドーのものと軌を一にしていたが、ボディのたたずまいはシルバーシャドーとの関連をどこにも感じさせない、独自の個性を持つものになっていた。

ロールス・ロイスはその史上初めて、外国のコーチビルダーにカマルグのボディデザインを委ねたのである。選ばれたのは、イタリア・トリノのピニンファリーナであった。この選択は、両社にとって望ましいものであったろう。というのは、この頃のイタリアにはピニンファリーナだけではなく、ベルトーネ、ギアなど、いくつものカロッツェリアが覇を競っていて、選択肢は多かったはずである。しかしその中でピニンファリーナは、ことさら新奇な方向をむかずに、クラシカルな美しさをもって特徴としていたからである。同時にこの頃のピニンファリーナは、1国1社を契約の基本としていたと言われる。ひとつの国の中で複数のメーカーから仕事の依頼が来れば、時にはライバル同士の双方にデザインを供給することになろう。その頃のピニンファリーナはそうしたことを避けて、契約は1国1社として、その会社との信義を守ることを大切にしていたのである。ロールス・ロイスにとって、そのピニンファリーナのクラシカルな美しさと信義を大切にする気持ちとは、琴線に触れるものであったはずである。

そしてピニンファリーナが作り上げたのは、大型の2ドア・クーペ・ボディであった。仮にカマルグの現代版を作ろうとするなら、アメリカ市場用にコンバーチブル・ボディが用意されることは間違いない。しかし1970年代に作られたカマルグは2ドア・クーペという1種のボディのみで、屋根のない仕様は作られなかった。2ドア・クーペのスタイルはゆったりとしたプロポーションとフラットな面によって構成されるもので、南フランスのリゾートに置いても、市中のビジネス街を走らせても、圧倒的な存在感を放つように思われる。そのスタイルで一つ不思議なのは、ドアとサイドウィンドーの下方に細いクロームのラインが入っていることだ。どうやらこの車のデザイナーであったパオロ・マルタンはウィンドー部分をより大きく見せるために、このウィンドー下の部分を黒かそれに近い色に塗ることを考えていたらしく、彼のスケッチにはそのアイディアが見られる。  ピニンファリーナはボディの量産工場を持っていたから、このカマルグもトリノの工場で生産することを望んでいたに違いない。ロールス・ロイスの方ではそれを選ばず、ボディ生産は系列のH.J.マリナー/パークウォードで行われることになった。それもいったんホワイトボディが作られた後、ロールス・ロイスの本工場へ送られてエンジンやサスペンションを組み付け、その後ふたたびH.J.マリナー/パークウォードで内装がとりつけられるという手の込んだ製作法である。

この1985年カマルグはその生産の最終期に属するものである。ピニンファリーナのボディ・デザインは終始変わらなかったが、エンジンやサスペンションなどは時代が進むに従ってアップデートを受けている。当時の価格は生産車としては間違いなく世界最高と言われていたが、いずれにしてもこうしたモデルを注文する人というのは、価格など聞かないものであったそうである。それに対して、同社のベントレーの場合は、価格を明示する必要があったという。ただし、カマルグは基本的にはロールス・ロイス・ブランドのみで、ベントレー仕様は例外的に1台が作られたに過ぎない。全生産台数は500台余りである。


 

PAGE TOP

 

無断で記事・写真の転載を禁じます
Copyright ©  WAKUI MUSEUM All Rights Reserved.