1939 Bently 4.1/4L D.H.C. by Vanden Plas

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1939 Bently 4.1/4L D.H.C. by Vanden Plas   Information

 年式1939
 メーカー Bentley
 モデル 4.1/4L
 ボディータイプ DHC
 コーチビルダー Vanden Plas
 ボディーカラー Gray / Black
 内装 Blue Leather
  Gray
 付加情報 
 

英国では1920年代をヴィンテッジ期と呼び、その時期に作られた車で秀でた魅力を持ったものをヴィンテッジカーという。古い車ならばどれでもヴィンテッジカーなのではなく、英国ではその呼び名に明確な資格があることを理解しておかなければならない。1920年代を特にヴィンテッジ期というのは、戦前の古い車を所有し、走らせ、直すということを楽しみとする人々にとって、その時期の車が特に個性豊かで、自動車の走りの原点を感じさせるからである。また構造からいっても、その時期の車は個人オーナーが自宅のガレージにある程度の工具で何とか直すことができる。バッテリーひとつ交換するにもディーラーのサービス工場へ持ち込まなければならない現代の車とヴィンテッジカーとは、異なった考え方の機械なのである。

これに対して、1930年代に入ってからの車はポースト(~の後に続く、というような意味)・ヴィンテッジと呼ばれる。20年代の車とは構造もスタイルも違ったものになって、明確に世代が区別される。

ベントレーも1920年代と1930年に入ってからでは、その性格を大きく変えている。1919年にW.O.ベントレーによって創業されたベントレー・モータースは、宣伝も兼ねてルマン24時間レースに果敢に挑戦した。そしてメゾンブランシェでのクラッシュ、“ベントレー・ボーイズ”と呼ばれたドライバーたちなど、多くの物語を派生させたうえで都合5回の優勝を記録している。そこからW.O.の時代のベントレー各車には、雨も霧もものともせずに、爆音を轟かせながら走る硬派のイメージが重なる。エンジンからの熱気に耐え、オイルの飛沫を浴びながら、24時間を走り続けるスタミナが、ベントレーという車を特徴づけていたのである。

一方、1931年にロールス・ロイス傘下となってから作られたベントレーは、魂を揺さぶるような轟音も、焼けたオイルの蒸気も、もう発しはしなかった。それはスムーズに走らせることができる、洗練されたスポーツモデルとして作られていた。なによりダービー時代のベントレーがクリックルウッドで作られたモデルと異なっていたのは、ロールス・ロイス並の静粛性を備えていたことであった。そこからロールス・ロイスではその時代のベントレーを“サイレント・スポーツカー”と謳った。

もうひとつの1920年代と30年代の違いは、ボディにも見られる。ヴィンテッジ期の車はスポーツモデルであるかツーリングカーであるかにかかわらず、オープン・ボディが多数を占めていた。大正時代に体調の優れなかった天皇の御名代として、当時の皇太子、後の昭和天皇が台湾を巡幸されたことがある。その時はすでに自動車が移動用に用いられていて、いずれも英国製のデイムラーやロールス・ロイス・シルバーゴーストがその任に当たった。そうした高級車でも、ボディはいずれもオープンであった。その頃、自動車といえばオープン・ボディのものであったのである。

1930年代に入ると人々の生活や嗜好が変って、クローズド・ボディが増えてくる。ダービー・ベントレーもその例に漏れなかった。当時はまだほとんどの車が梯子型シャシーを主構造としていて、その上に構築するボディはすべてコーチビルダーの手に委ねられていた。その構造は木材を骨格として、その上に鉄、あるいはアルミでボディを形作るものであった。

そうした構造でサルーン(4ドア・セダンの英国式の呼び方)・ボディや、時にはリムジンなどを架装すれば、当然重量は大きくなる。ダービー・ベントレーの最初のモデル、31/2リッターも次第に重いクローズド・ボディが載せられる例が増え、軽量のDHC(ドロップヘッド・クーペ)などに較べれば全体の重量では不利となった。そこで1936年には、直列6気筒エンジンのボアを広げて、排気量を3669ccから4257ccに拡大したものをオプションとして用意した。するとほとんどの顧客が新しい41/4リッター・エンジンを選択したことから、ほどなく31/2リッター・モデルはカタログから落とされ、41/4リッターが後継モデルとなったのである。車名の41/4リッターはダービー・ベントレー初代の31/2リッターと同様に、そのエンジンの排気量に由来している。

1939年には、41/4リッターに新しい4段ギアボックスが組み合わされた。それまでの4段ギアボックスは4速を直結としていたのだが、新しいものは3速が直結、4速はオーバードライブ・レシオになっていた。全体にギアリングが高くなったのは、ヨーロッパ大陸で作られ始めていた高速道路での長距離高速走行に備えて、エンジンへのストレスを低く抑え、また室内も静粛に保つためであった。この1939年以降の41/4リッター・モデルが、ダービー時代のベントレーの最終型となる。実際にはこの後でマークVというモデルが登場するが、ごく少数が作られただけで第二次大戦のために自動車の生産が中止された。

ここに登場するモデルは1939年型の41/4リッター、ボディはヴァンデン・プラ製のDHCである。ヴァンデン・プラというのはロンドンにあったコーチビルダーだが、英国らしくない名称を持っている。実際その出自はベルギーにあって、1913年にワーウィック・ライトが英国における名称の使用権を手に入れ、所有していたコーチビルドの会社をヴァンデン・プラ(英国)と名称変更したのが始まりである。クリックルウッド時代のベントレーとはとくに関係が深く、1925年からはヴァンデン・プラの工場の一角をベントレーのサービス施設に貸し出したほどであった。実際、クリックルウッドの時代には、700台ほどのボディをヴァンデン・プラが架装したという。それもほとんどは軽量構造のオープン・ボディであったから、その時代のベントレーの性格に良く合ったものであった。

1931年にクリックルウッドのベントレーが操業を停止したことは、ヴァンデン・プラにとっても大きな打撃になった。彼らはその代わりにアルヴィスやインヴィクタのボディを手がけ、やがてロールス・ロイスのダービー工場でベントレーが作られるようになると、再びベントレーのボディ架装に関わるようになった。この車もそうした1台で、金属パネルのドロップヘッド・クーペである。現代の路上でも通用するだけの性能を持ち、ロールス・ロイスから譲り受けた静粛性も兼ね備えて、それに軽量のDHCボディが組み合わされていれば、これはポースト・ヴィンテッジ期で最も洗練された車の1台ということができよう。

ロールス・ロイスに属していた時期のW.O.ベントレーは、必ずしもエンジニアとして存分にその力を発揮していたとは言い難いようである。それでも車に対する評価は、自らの境遇とは離して客観的な目で見ていた。ダービー・ベントレーを彼はこう評価しているのである。“ベントレーの名のもとに生産されたすべての車の中で、あらゆる性能を吟味するなら、私はこの車に乗ることを選ぶだろう”

この時に彼が乗ったのは、この41/4リッターヴァンデン・プラDHCのようなモデルではなかっただろうか。


 

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