1934 Bentley 3.5L DHC Parkword

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1934 Bentley 3.1/2L DHC by Park Ward   Information

 年式1934
 メーカー Bentley
 モデル 3.1/2L
 ボディータイプ DHC
 コーチビルダー Park Ward
 ボディーカラー Black
 内装 Green Leather
  Gray
 付加情報 
 

ダービー・ベントレーは31/2リッターに始まる。ダービーというのは1907年以来ロールス・ロイスの工場が置かれているところである。このダービー工場で作られていた時期のベントレーをダービー・ベントレーと称するが、その呼び名はクリックルウッド・ベントレーとの対比で用いられることが多い。W.O.ベントレーが指揮をとっていた時代のベントレーはロンドン北部のクリックルウッドに本社と工場が置かれていたことから、その時期に作られた車はクリックルウッド・ベントレーと呼ばれるのである。

 

W.O.ベントレーというエンジニアが指揮をしていた時代のベントレーは都合5度、ルマン24時間レースに優勝するなど、英国の人々に興奮と誇りをもたらす存在になっていたが、会社そのものは常に資金不足に悩んでいた。その時代の後半に会社のオーナーとなったのはウルフ・バーナートである。彼は南アフリカにダイヤモンド鉱山を持つミリオネアであると同時に、優れたレーシング・ドライバーでもあった。そしてベントレー・ボーイズの一員としてルマンを走り、1928年から1930年まで3年連続して優勝している。ある年のルマン24時間レースで、チーム・マネジャーを務めていたW.O.ベントレーは最も調子のよくない車を彼に割り当てたことがあった。彼は従容としてW.O.ベントレーの指示に従い、不調をカバーしながら走って優勝に導くのである。W.O.ベントレーは彼がそうした能力に人一倍優れていたことをよく理解しており、ウルフ・バーナートもまた自分が会社のオーナーであることを主張したりせずに、スポーツマンとしてのフェアな精神でそれを受け入れたのだと言われている。

 

ルマンのレースではチームオーダーに従ったウルフ・バーナートが、1931年にベントレー社が深刻な財政困難に陥った時には、追加資金を投じることに同意をしなかった。会社は続かなくなって管財人の管理下に置かれ、やがて裁判所で設備や生産権の引受先が決められることになる。それを獲得したのがロールス・ロイスであったのだが、その際のやりかたが後世に問題を残すことになった。イギリス人はスポーツでも日頃の生活でも、フェアであることを重んじる。その裁判所では自分たちの名前を隠して代理人(しかも正体不明の)を立てたのであったから、アンフェアなやり方ではないか、という印象が長く残ることになったのである。

その時、ベントレー社の施設や生産権を買い取ろうとしていたのはネイピアであった。彼らは第一次大戦をはさんだ20年間程、英国で最も優れた高級車のメーカーと言われていた。実際ロールス・ロイスがシルバーゴーストという成功作を出すまでは、なかなか勝てないライバルという位置にあった。この1931年にネイピアは航空機用エンジンの生産に集中していて、自動車からしばらく離れていた。そこで8リッターという高価だが性能の良いモデルを持っていたベントレー社を買い取ることで、高級車の生産に復帰しようとしていたのである。彼らが裁判所に提示した金額は約10万ポンド、それに対して正体不明の代理人が示したのは12万ポンドであったという。これに驚いたネイピアはすぐに対応策をとろうとしたが、裁判所は「ここはオークションのように値段を競りあう場ではない」と宣言して、12万ポンドの代理人にベントレー社を渡したのである。

 

こうしてロールス・ロイスはネイピアが高級車生産に復帰しようという目論見の芽を摘み、同時にベントレーを自社に取り入れた。W.O.ベントレーはその頃すでにネイピアとの間で新型車用のエンジンを開発する話があったらしい。そこで彼は会社を買い取ったのがロールス・ロイスであることがわかった時に、すぐネイピアに行こうとしたようである。しかし、ベントレーの新しいオーナー、ロールス・ロイスはそれに対して異議を唱えた。ベントレー社とW.O.ベントレーの間には“彼はベントレー社のために働く”という取り決めがあり、それは会社のオーナーが替っても有効である、というのである。他の選択肢はなく、W.O.ベントレーはダービーのロールス・ロイスに行くことになった。

ロールス・ロイスではエンジニア達が彼に対して充分な敬意をもって接したという。然し会社は彼を新型車の設計計画には参画させなかった。従って、ロールス・ロイスで新しく作られるベントレーの開発は、W.O.ベントレーが関与しない形で進められた。

ダービー製の最初のベントレーとして1933年に登場したのが31/2リッターである。エンジンの排気量をそのまま車名に用いるのは、クリックルウッド時代のベントレーの例に従ったやりかたであった。そのW.O.の時代の代表的な車種は3リッター、41/2リッター、6リッター、そして8リッターである。ダービー・ベントレーはこの31/2リッターに始まり、41/4リッターと続くから、数字が重なることはない。

 

その31/2リッターはクリックルウッド時代のベントレーの、ラグビーやサッカーを連想させる“野外スポーツ”という性格ではなく、ロールス・ロイスの洗練を持った、しかしそれよりはスポーティーな車種として仕上げられた。この時期のロールス・ロイスが生産していたのはシルバーゴーストの後継車としてのファンタムIIと、オーナー自身でステアリングを握る人のための20/25HPという二系統があった。この31/2リッター・ベントレーをごく手短に説明しようとする時には、ロールス・ロイス20/25HPのホイールベースを切り詰め、6気筒エンジンの出力を強化したもの、と表記されることが多い。

 

アンソニー・バードとイアン・ハロウズによる著作、ザ・ロールス・ロイス・モーターカーによれば、そのシャシーは当時の流儀に従った梯子型だが、直接のベースとなったのは20/25HPではなく、その時期に開発が行われていた試作車であったという。それは1929年に起った世界大恐慌の影響で経済不況となったことから、既存の車種より価格をおさえて販売することをめざしたもので、スーパーチャージャーのついたエンジンがのせられていた。そのエンジンはロールス・ロイスの求める信頼性には達せず、従って生産化はされなかったが、シャシーは良いバランスを保つと評価され、ベントレー31/2リッターに用いられることになったのだという。

6気筒エンジンは20/25HPの3669ccをベースに、ファンタムIIと同系のクロスフロー・ヘッドが組み合わされた。なお圧縮比は20/25HPより高く設定され、SUのキャブレター2基が組み合わされて、出力が向上している。こうした機構に加えて、短いホイールベースは重量を軽く保つことにつながったから、31/2リッター・ベントレーの性能は同時期のロールス・ロイスよりスポーティーなものになっている。その性能にふさわしいブレーキが備わったのも、ダービー・ベントレーの美点のひとつであった。1920年代の初期以来、ロールス・ロイス各車にはメカニカル・ザーボ・ブレーキが装備されていた。これはイスパノ・スイザが特許をもつもので、その時代では最良というべきシステムであったろう。

ベントレー31/2リッターは確かに90年近く前の車であるかもしれないが、今日の路上でも通用する性能を備えている。充分に整備を行い、少し車の扱いに慣れたなら、ヒストリックカー・イベントなどを走ってみるのも、素晴らしい体験になることだろう。なによりこの車はパークウォード製のドロップヘッド・ボディである。天気が良ければ幌をたたんで、フライングBのラジエター・マスコットに導かれながら景色の良い道を走るのは、20世紀の遺産としてのガソリン・エンジン自動車の最も魅力的な姿ではないか。


 

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