1907 NAPIER

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1907 NAPIER   Information

ブリティッシュ・グリーンの始まり

 年式1907
 メーカー NAPIER
 モデル
 ボディータイプ
 ボディーカラー Maroon
 内装 Brown Leather
 付加情報 
 

現代のイギリスの高級車といえば、まず名前を挙げるべきはロールス・ロイスであろう。ロールス・ロイスはシルバー・ゴーストの登場以来、静かでスムースで信頼性高い“ザ・ベストカー・イン・ザ・ワールド”という名声を確立したのである。40/50HPシルバー・ゴーストが登場するのは1906年だが、それ以前の英国ではいささか事情が異なっていた。19世紀末に登場したばかりの自動車の姿そのものが、現代とはずいぶん違っていて、馬なし馬車という言い方がふさわしいものであったのである。その頃、19世紀末から第一次世界大戦に至る時期の英国で、高級車として名が刻まれていたのは、ロールス・ロイスよりもむしろネイピアとランチェスターのふたつであった。ランチェスターの方はユニークな発想と技術で知られていたし、ネイピアの方は大型高級車としてすでに名声を得ていた。

同時に、ネイピアの名は良く知られていた。それはS.F.エッジが販売を一手に受け持つと同時に、車名を広く世に知らしめるために、盛んにレースやスピード・イベントへ、自分自身がネイピアを操縦して参加したからである。その最も大きな成功というべきが、1902年のゴードン・ベネット・カップでの優勝であった。ゴードン・ベネット・カップというのは、国別対抗の形で行われたレースで、S.F.エッジがネイピアで参加するまでは、英国車はほとんど勝つ見込みのある車はなかった。その1902年の、フランスで行われたレースでも、S.F.エッジと親戚のセシルのふたりは英国を出る前から様々なトラブルに襲われ、フランスに渡るフェリーの中でエンジンの部品交換をしたりしたのだという。しかし、苦労の末に優勝することができて、それが英国車としては初勝利となった。同時に、それまでは大陸側のメーカーの後塵を拝していた英国の自動車が、ゴードン・ベネット・カップに優勝したことで、一躍欧州大陸のメーカーの水準に追いついた、と評価されることにもなった。

このレースに出たネイピアが緑色に塗装されていた。ゴードン・ベネット・カップというのは国別対抗の形をとっていたから、それぞれの国は決められた色に塗られることになっていた。たとえばフランスはブルー、ドイツは白、である。これが後にナショナル・レーシング・カラーとして、定着することになる。イギリスはこのネイピアが参加するまで有力な車が走ったことはなかったから、イギリスの色は決められていなかった。そこでこのレースでネイピアが塗っていたグリーンがイギリスの色として採用されることになったのである。1930年代のERA、1950年代のジャガーCタイプとDタイプ、1960年代のロータスなどは、それぞれ色合いは違っていても、グリーン系の色に塗られてサーキットを走り回った。そのブリティッシュ・グリーンの始まりがネイピアだったのである。

今回入荷した1907年のネイピアは、英国ではエドウォーディアンと呼ばれる時代の高級車である。ボディはまだ馬車の時代の面影を残しているが、この時代の車で当時のままのボディをとどめているというのは、ごく珍しい。エンジンは排気量6177ccの直列6気筒である。なおネイピアは初めて6気筒エンジンを成功裏に生産車に採用したことでも知られている。木製や鉄のホイールが普通であった時代に、早くからワイアスポークのホイールを採用していたことでも、ネイピアの先進技術やレースでの経験が生かされているはずだ。この車が作られた1907年には、ワイアスポークが選べたはずだが、まだこの車は当時の標準型がつけられている。

ネイピアは1912年に大切なパートナーであったS.F.エッジが引退してからは、生産車の販売でも、競技でもそれまでに輝きを失っていった。自動車の生産から手を引くのは1920年代の半ば、その後のネイピアは速度記録用の特製車のエンジンや、航空機用のエンジンに主力を移す。その代表はネイピア・ライオンと呼ばれるW12気筒の航空機用エンジンであり、そのエンジンを用いたゴールデン・アローという速度記録車であろう。


 

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