1952年 DB-ANTEM パナー ル HBRスポール

1952 DB-ANTEM パナー ル HBRスポール

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1952 DB-ANTEM パナー ル HBRスポール; Information

 年式1952
 メーカーDB・パナール
 モデルHBR スポール
 コーチビルダー ANTEM
 ボディータイプ バルケッタ
 ボディーカラー ブルー
 内装
 
 付加情報 1950年代のレースシーンで活躍したフランスの「DB」は、1938年から1961年まで、フランス・パリ近郊シャンピニー・シュル・マルヌを拠点として存在した小規模コンストラクター。その屋号は創始者である二人のエンジニア、シャルル・ドゥーチュの「D」とルネ・ボネの「B」のイニシャルから名付けられました。
第二次世界大戦開戦前夜までは、シトロエンのトラクシオン・アヴァンがベース。そして戦後には個性溢れる小型車、パナール・ディナのコンポーネンツを流用した独創的なスポーツカーで当時のモータースポーツに参戦。特にル・マン24時間レースでは、5回にも及ぶ性能指数賞を勝ちとるなどの目覚しい成果を得ました。
今回ご紹介するのは、パナールとともに築いた黄金時代の先駆けとも言うべきDB製レーシングスポーツです。パナール・ディナ用空冷フラットツインの排気量は745ccという小さなものでしたが、DBの得意としたエアロダイナミクスと軽量設計を最大限に活用し、侮りがたいスピードを示しました。
また、この時期のDBの多くのボディを手がけたカロジエ「ANTEM」ボディの特徴的なスタイルも、重要な魅力の一つと言えるでしょう。同じラテン製の超小型レーシングスポーツでも、イタリア製のいわゆる「虫」系バルケッタとはまったく異なるテイストを持つもの。自動車デザインの見地からも今なお高い評価を得ています。
この個体は、1952年に製作。チーフエンジニアにワークスドライバーも兼ねていたルネ・ボネ自身が搭乗して、主に北米のレースにて活躍した正真正銘の元ワークスカーです。1952年のセブリング12時間耐久レースでは13位完走に終わりましたが、翌1953年のワトキンス・グレンとブリッジ・ハンプトンのレースでは、見事クラス優勝を果たしています。
レーシングカーとしての役割を終えたこのDBパナールは、その後アメリカ国内の倉庫にて長い眠りに就くことになります。その行方は、実に半世紀以上の時を経た2005年4月に、同じ倉庫にて発見されるまでは不明になっていたそうです。
そしてようやく発見された際には、欧米のクラシックカー業界で大きな話題となりました。その後フランスに里帰りしたのち、オリジナル状態に戻すべく完璧な修復を受け、ついに2007年初頭のパリ「レトロモビル」に出品。発見時以上のセンセーションを巻き起こしました。
さらにその直後、この個体は我が国の熱心なパナール愛好家によって日本上陸を果たし、2007年に開催された日本初の本格的コンクール・デレガンス「東京コンコース・デレガンス」にも出品。また、日本国内のクラシックカー・ラリーイベントでも活躍した雄姿をご覧になった方も、おそらく多いことでしょう。
フランスの文化財的なレーシングスポーツ、DBはフランスから国外に出すことが困難となる事例も多く、私たち日本人が入手できるチャンスは極めて少ないのが現状です。
加えて、現状の国際マーケットでの価格も高騰していることから、比較的リーズナブルに手に入れられるこの機会を、お見逃しないようお勧めしたいと存じます。


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